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拙守庵閑話

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拙守庵閑話
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バスで眼科通いをしている。途中「天ヶ久保(あまがくぼ)」というバス停がある。車内アナウスで「あまがくぼ」と聞いた時、思わず窓外に目をやった。素敵な地名だ。是非由来を知りたいものだ。陽だまりに虫が舞っていた。まくなぎは夏だし浮塵子(うんか)だろうか、綿虫ではなさそうだ。
       
<11月3日(土)、文化の日、己亥(つちのとゐ)、旧9月26日>

    浮塵子舞ふバス停の名は天ヶ久保    無迅

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タイトル 日 時
小林秀雄の俳句観を探る <その1>
小林秀雄の俳句観を探る <その1>  小林秀雄は俳句を嗜まなかったようだ。だから小林の著作には俳句の話はあまり登場しない。少なくとも私が読んだ範囲ではなかった。反面、和歌は多く登場する。だが小林は和歌も詠まなかったようだ。小林は戦中から晩年まで日本の古書を読み古人の叡智を探った。和歌についても晩年の大作『本居宣長』を通して、並みの歌人では太刀打ちできないほどの歌論に通じていた。この小林の姿勢、つまり歌論に詳しいが歌は詠まない、詠んでも下手というスタイルは、どうやら江戸初期の国学者に多く見られるスタイルのようだ。契沖は歌を詠まず、賀... ...続きを見る

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2018/11/04 20:29
能登真脇のこと <その12、完結編>
能登真脇のこと <その12、完結編>  以下、折口信夫追悼集会での柳田の講演内容のことである。追悼集会であり当然のことながら、あからさまな折口批判は出来ない。しかしこの日の柳田の講演は、いつもの柳田の調子ではなかったことが「わがとこよびと」を読むと判る。一言で言えば折口学への共感である。かつて柳田が発表した「折口信夫君とニホのこと」(年表❺)と同質のものが感じられる。かつて折口が沖縄で行った習俗調査に自己体験をかぶせ、折口の分析を評価する姿は、6年前「まれびと」を揶揄した調子は微塵もない。結論を言えば、前年折口が発表し... ...続きを見る

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2018/09/14 01:04
能登真脇のこと <その11>
能登真脇のこと <その11>  柳田の日本民族学創設は大変な事業であったと思う。大学で教える学問として、しかも西洋学問と一線を画する学問体系を整える苦労は並大抵の苦労ではない。有名な家永三郎の柳田民俗学批判、つまり「学問体系が未整備、柳田の個人芸の域を出ていない」という批判は痛烈であったと思う。西洋学の権化のような家永三郎だけではなく、柳田の言葉を借りれば「翻訳学者」達が大勢を占める最高学府の中で、一つの学問分野を起こす苦労は大変なものであろう。柳田が帰納法的実証法に長年拘わった理由も一つはここにあったと思う。 ...続きを見る

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2018/09/01 14:31
能登真脇のこと <その10>
能登真脇のこと <その10>  梶木剛の小論「柳田学と折口学」を読むと、柳田と折口は折り合いを付けていたのではなく、柳田が折口に「すり寄った」という衝撃的な結論に至る。柳田と折口を知る者には、梶木の「すり寄った」という表現は著しく適切を欠くものと思うかも知れない。何故なら柳田は折口が終生師表と仰いだ存在というのが通念だからだ。しかし梶木の小論を読むと、この表現の背景には二つの理由がある。一つは戦後のある時点で柳田は折口学を受け入れざるを得ない学問的な状況に直面していたこと。二点目は「すり寄った」と言われても仕方がないほど過去... ...続きを見る

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2018/08/12 12:16
能登真脇のこと <その9>
能登真脇のこと <その9>  第二の疑問点「西洋民俗学と柳田民俗学の違い」を書いてきたが、実は未だ結論に足る記述は出来ていない。さりとて、いまさら西洋民俗学の本を読む気は、いま一つ起らない。以前この種の本を数冊読んでいるが、多くは所謂フォークロア(民間伝承)の話であった。しかもヨーロッパと言う広域な範囲が対象であった。この地方にはこのような話があり、似たような話が欧州のこの国にある、果ては豪州や南アメリカにも同様な話があるという類の話に終始する。いちおうは伝承背景に迫るが、いま一つ迫力がない。つまり過去の民族間闘争に、そし... ...続きを見る

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2018/06/25 22:47
能登真脇のこと <その8>
能登真脇のこと <その8>  学問は実証的でなければならず、この点では西洋学も国学も同じである。明治8年生まれの柳田は青年期に西洋科学的な実証主義の洗礼を受けており、その重要性は十分認識していた。科学的ということは事実を元に理論を立てることであり、方法論として通常帰納法をとる。その点柳田も徹底した帰納主義を貫いている。民俗学の実証法として宣長の国学に拠ったのも、一つは宣長が古典(万葉集)に戻るという文献主義的実証法を採用していたからである。 ...続きを見る

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2018/04/28 16:03
芭蕉会議十周年記念パーティー
芭蕉会議十周年記念パーティー  12月2日(土曜日)芭蕉会議の十周年記念パーティーがあり、パーティー直後の集合写真をつゆ草さんが送ってくれました。  パーティー直後のことで懇親会に出席されなかった方には紹介できませんでしたが、画面中央、根本さんと尾崎さんの間(先生の左上)の麗人が、日頃お世話になっている潟Jルテモの向井容子さんです。  所用繁多の中駆けつけて頂きました。 ...続きを見る

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2017/12/04 16:31
能登真脇のこと <その7>
能登真脇のこと <その7>  折口学を頼りに本論をスタートさせたが『古代研究』を読み進めると民俗学の実証法が学問的に納得いくものなのか多少不安になってきた。これは私が今まで民俗学に抱き続けて来た不安でもある。つまり『古代研究』の奔放な発想が気になって来たのだ。このため『古代研究』をいったん横に置き、鳥越氏の『柳田民俗学のフィロソフィー』を読み進めている。その上で本論を進めた方が、ここまで読まれた方への礼儀にも叶うことと思うからだ。 ...続きを見る

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2017/08/27 18:32
能登真脇のこと <その6>
能登真脇のこと <その6>  ここまで書いて来て思い出すことがある。歌人斎藤茂吉が柿本人麿の終焉の地を数年かけて探索した話である。その際茂吉が頼ったものは和歌三首であった。人麿が臨終の時に詠んだ一首とその妻が夫の死に接し詠んだ二首である。茂吉はこの歌の解釈を元に遂に湯抱(ゆがかい)の鴨山にたどり着いた。導いたのは歌人としての勘である。同じ歌人として時空を超え人麿夫妻と歌の世界を共有したのだ。茂吉はこの結果を昭和9年に『鴨山考』として発表した。戦前この書は多くの人に感動をもって読まれた。 ...続きを見る

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2017/08/01 21:04
能登真脇のこと <その5>
能登真脇のこと <その5>  前章までに述べたことを要約すると、最新の考古学によれば従来の縄文時代観は誤謬に満ちたもので実は世界に誇れる先進性を有していたこと。能登真脇に4千年住み続けた縄文人の心に思いを馳せたいがその術がないこと。つまり現代学問には文献のない時代や精神面を解明するに有効な手立てがないこと。さらに明治以前の日本と欧米の文化は真逆であったこと、このため縄文時代の解明には明治時代に入った洋学より国学や民俗学が有効ではないか、つまり折口学に期待がもてそうであるなどを述べて来た。 ...続きを見る

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2017/07/04 01:07
能登真脇のこと <その4>
能登真脇のこと <その4>  ルイス・フロイスは1532年、ポルトガルに生まれた。16歳でイエズス会員になりインドに渡る。そこで聖パウロ学園に入園、そこにいた薩摩藩士パウロ・ヤジローの影響で日本に強い関心を持つようになった。1562(永禄5)年、念願の日本赴任を果たし九州や近畿で宣教活動を行った。65歳で没するまで日本で暮らしたが、時には通訳者として信長や秀吉にも謁見した。筆まめな性格で当時の日本の政治、経済状況や文化、社会、宗教、風俗などを丹念に本国に書き送っていた。 ...続きを見る

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2017/05/03 15:28
能登真脇のこと <その3>
能登真脇のこと <その3>  真脇縄文人の文化的な特徴はいくつかある。先ず他の遺跡ではあまり見られない床に板を引く生活風習である。住居だけでなく板が引かれたお墓も見つかった。また集落の中央には直径1メートルもある栗の巨木を半分に割った木柱をサークル状に回したストーンサークルならぬ栗の木サークルがあったようだ。しかもその場所は、ほぼ固定されていて何代にもわたって立て替えられた形跡がある。さらに木材の加工技術に長けていたようで、巨木を半分に割る技術や住居用木材として穴を穿ち木材を組み合わせる工法も有していた。 ...続きを見る

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2017/03/23 12:35
能登真脇のこと <その2>
能登真脇のこと <その2>  真脇遺跡の発見は比較的新しく、昭和57年に行われた農村基盤整備に伴う事前調査によって発見された。調査を進めるうちに折り重なる地層から、まず縄文後期の地層が、さらに掘り進めると中期、前期の地層が、その時代の出土品と共に現れた。縄文時代の全期に渡る出土品が同じ場所から多量に出たことで大きな話題を呼んだ。しかもその発掘状況から長期定住型集落の跡と判り、平成元年に国指定史跡になった。また平成3年には、200点を超える出土品が国の重要文化財に指定された。 ...続きを見る

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2017/03/13 22:09
能登真脇のこと <その1>
能登真脇のこと <その1>  昨年(平成28年)10月、思い立って能登半島を3泊4日で一周した。能登で見ておきたいところが幾つかあり、その一つに真脇縄文遺跡があった。珠洲市で道に迷い、本来なら富山湾側から真脇に入る予定が、反対の山側から真脇遺跡公園に入ることになってしまった。ナビに従って暫く山中を走ると急に視界が開け、いきなり真脇湾が眼下に現れた。時計は10月20日、午後1時を指していた。 ...続きを見る

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2017/03/01 21:41
Sさんのこと <その12、完結>
Sさんのこと <その12、完結>  <山椒魚蛇足4>  井伏鱒二が自著『山椒魚』を、どのように見ていたかについては諸説がある。ある現役の作家は盗作だと断言して憚らない。私はそのあたりはよく分からない。ただ井伏が最終章の会話部分を何故削除したのかはとても気になる。気になることのもう一つは、その削除が最晩年であったことだ。実はそのことを数日考えたことがある。その結果、私がたどり着いた結論は極めて俳句的であった。先ず文章全体の印象はかなり哲学的、あるいは寓意的な内容にも拘らず削除部分は如何にも恣意的という感じがすることである。 ... ...続きを見る

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2017/01/05 13:29
Sさんのこと <その11>
Sさんのこと <その11>  <山椒魚蛇足1>  西洋では山椒魚をサラマンダー (salamander)と呼び、何故か火の中に棲む神秘的な魚として特別な扱いを受けている。私が調べた範囲では、その理由は二つあるようだ。一つは中世に欧州で流行った錬金術と関係する。つまり山椒魚を焼いて作った粉末が錬金術の重要な成分として重宝されていた。錬金術は近代科学が発達する以前に盛んに行われたもので、結果的には金を生成することはできなかった。しかしその精神は近代科学精神を生んだと言われている。当時は現代でいう科学的合理精神が未確立であり、... ...続きを見る

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2016/12/24 01:33
奈津美のインドネシア便り<その2>
奈津美のインドネシア便り<その2> 「芭蕉会議」の会員、荒井奈津美さんからインドネシア便りの第二便が届きましたので以下に紹介します。 なお、「芭蕉会議」の掲示板には写真のない同文が掲載されています。 (掲示板に写真が掲載できないので、写真付きのものを以下に掲載します) ...続きを見る

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2016/12/13 19:51
Sさんのこと <その10>
Sさんのこと <その10>  Sさんのかけいを見る目は確かだった。かけいの山椒魚は、当初大(おお)山椒魚であった。しかし、ある時から体長僅か7,8センチのヒダサンショウオに変わったのだ。この変化こそ、無文の「愚守」であるとSさんは見ている。かけいは「愚守」によって積年の挫折感から解放されたが、その後の生き方は私の予想をはるかに超えていた。つまり、かけいが目指したのは「天狼」が挑戦し、刀折れ矢尽きた根源俳句を再び究めることだった。「愚守」は俳壇の桎梏からかけいを解放し平穏な余生を送ることではなく、俳壇と決別し一人浄界に上り己... ...続きを見る

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2016/12/06 13:42
Sさんのこと <その9>
Sさんのこと <その9>  山椒魚はどこか哲学的である。ただし、この場合の山椒魚は大山椒魚(おおさんしょうお)に限られる。実は日本の山椒魚は16種類と種類が多い。小さなものは5センチ前後から大山椒魚のような1メートルを超えるものもおり、中には木に上るものまでいる。その中でも大山椒魚は別格で、その巨体には威厳さえ感じられる。日本では愛知県以西の山間部清流にのみ生息し、国の特別天然記念物に指定されている。私は三十数年前、三重県名張市の通称「赤目四十八滝」と呼ばれる渓谷で大山椒魚を見たことがある。薄暗い岩の淀みに微動だにせず逼... ...続きを見る

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2016/11/16 14:11
藤袴の花
藤袴の花 藤袴<ふじばかま> 撮影地:赤城山自然園   撮影日:2014年9月30日 ...続きを見る

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2016/11/02 12:27

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