行って見たところ <鹿島・その1>

 娘を嫁がせて一か月、無事嫁がせたという安堵感もあってか、無性に旅に出たくなった。式の準備に何かと忙しかった妻の慰労も兼ね、数年行きそびれていた鹿島・潮来方面に行くことにした。幸いネットで北浦湖畔のホテルが取れたので、交通が混み合う連休前に出かけた。

 鹿島は二十代半ばから後半に掛けて、東京から通った仕事の地である。しかし、余り良い思い出はない。システム開発の遅れと、それに伴う二年も続いた夜勤や、頻発するシステム障害と客の叱責、派遣社員間のトラブル調整などが日常的に続き、若かった私は何度も会社を辞めようと思っていた。このため最近までは、思い出すのも厭な土地だった。

 ところが不思議なもので、数年前から夢の中にその頃に出合った懐かしい光景が頻繁に出てくるようになった。その光景とは東京から鹿島に通う国道51号線沿いの点景である。当時システムの納入先である鹿島臨海工業地帯へは、国鉄成田線の佐原駅から路線バスに乗り換え潮来を経由して開設間もない会社の鹿島営業所まで行き、そこから得意先に車で送ってもらった。このため下手すると一日がかりの移動であった。現在は鹿島線が佐原から延長され鹿島神宮駅が出来たので、東京駅から乗り換えなしで移動できる。しかし、当時は鹿島線が未だ工事中であった。そこで、その頃は中々買えなかったマイカーをかなり無理して購入し、車で東京-鹿島間を移動した。

 車で移動するようになると、その間は不思議にも過酷な仕事のことは一切忘れることが出来た。そのうちに沿線の光景が自分に大きな癒しになっている事に気付いた。鹿島には足掛け四年通ったが、季節毎に変わる沿線風景や故郷に似た景色などが見れ、窓外の光景には飽きがこなかった。今思えば一種の「旅」をしていたのであろう。このような経験から今回の旅行も、なるべくその当時通ったルートを辿るようした。

 当日は都内縦断を避け、外環道で常磐高速道に入り柏ICで降りた。取手経由で布佐に出て、利根川沿いに成田市を目指した。布佐に出たのは、布佐から利根川沿いに香取・潮来に通じている道を走るめである。この道は貞享四年八月、芭蕉が鹿島詣の際に、布佐から船で利根川を下り鹿島に向った経路と同じである。少しでも、芭蕉の経路に沿った道を走ってみたいと思ったからである。

画像
          <網代場・なま街道の跡地>
     布佐の利根川沿いにあった網代場・なま街道の跡地。
     網代場とは鮭を獲るところで、この周辺では大漁に
     獲れた。その鮮魚を江戸に送った通称「なま街道」
     の起点がここであった。芭蕉もこの辺りから船に乗
     り鹿島に向った。(写真は我孫子市のホームページから)

 利根川沿いに暫らく走った後、進路を成田に切り替えた。夢に出た国道51号線を走るためである。成田では成田さん(新勝寺)を参詣した後、遅い昼食をとり待望の国道51号線に向った。

 しかし、それからは失望の連続であった。四十年という歳月は無常である。窓外の光景は一変していた。まったく知らない町を走っているのである。当時は山間・田園を縫って走っていた51号線であったが、窓外は市街地が続いていた。わずかに道の曲がり具合や古木に当時を偲ばせるものがあったが、若い私の心を癒してくれた、あの光景はなかった。楽しみにしていたあの光景は、すでに我が心にしか残っていないことを思い知らされた。
 潮来に入ったときは、すでに日が傾き、北浦は少しもやっていた。

<つづく>

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