行って見たところ<鹿島・その3> 「鎌足神社」

 四十年前、鹿島に通っていた頃は、当然のことながら根本寺も鎌足神社も全く知らなかった。今思えばその二つとも、当時通った国道五十一号線の直ぐ脇にあったことになる。しかし当時は、寺社には全く無関心であった。有名な鹿島・香取両神宮の直ぐ近くにいながら、休日に、ぽっかりと空いた時間を埋める方策に鹿島神宮を一度訪れた記憶があるだけで、香取神宮に至っては場所さえ知ろうとしなかった。四十年後、俳聖芭蕉との縁で再び此処を訪れようとはよもや夢にも思わなかった。

 その後、関西に転勤したが、ストレス過多から大病を患い入院・手術・養生で長期の休職を余儀なくされた。このため妻子のこともあり、ストレス解消策を本気で考えるようになった。関西は日本文化のメッカ、由緒ある神社仏閣にはこと欠かなかった。寺社・仏閣を巡ってみると、ストレス解消策として良質の癒しが得れることが分かった。その頃のテレビ・コマーシャルで「釣りは旅である」というようなナレーションがあったが、その言葉が妙に心に響いたことを憶えている。現在のように携帯電話が何処までも追いかけてくる時代ではなく、それこそ「完璧なこころ旅」が出来た。

 その後、関東に戻り「完璧なこころ旅」は途絶えてしまうが、ある縁で句会に出席したことから「完璧なこころ旅」は「俳句」に代わって復活、旅は句会や吟行となった。俳句を始めると我が国の古典や歴史への関心が高まり、オーバーな表現となるが人間としての生き方、殊に日本人というものへの興味が頭をもたげてくる。そうしているうちに人並みに芭蕉にまとわりつくようになる。根本寺も芭蕉との関わりから知る事になり、忘れていた鹿島への郷愁に繋がった。

 話は変わるが、私は父が比較的年老いてから生まれた子で、所謂「恥じかきっ子」である。そのせいか、父から少なからず溺愛され、恥ずかしい話であるが小学校の低学年まで父と一緒に寝ていた。その父が寝物語に話してくれた話の中に、天神様の話や家祖の話があった。父は話が終ると蒲団の中で、道真の和歌や家祖の名をいつも私に復唱させた。だから「○○院藤原△△」という家祖名は今でも呪文のように脳裏に張り付いている。そういうことが背景にあるせいか、関西時代の例の寺社巡りでは、藤原家発祥の地と言われている明日香村大原に何回か足を運んだことがある。

 今回の旅においても、根本寺を調べているうちに、その近くに鎌足神社があることを知り、迷わず訪問先に組み入れた。

画像
            <鎌足神社正面>

 根本寺を出ると鎌足神社は探すまでもなく直ぐに分った。そして、その社の簡素さに思わず笑ってしまった。小さな路地(に見えた)があり、その入口に「鎌足神社」の扁額を持つ小さな鳥居が建っていた。路地に見えたものは参道で、その突き当りに小さな祠があった。誇るべき大家祖である鎌足様には悪いが、ちょうど八っつあん熊さんが住む「向こう三軒両隣」の奥に鎮座するお稲荷様のイメージなのである。左右に一般民家の軒が迫っているので尚更その観が強い。

 かつて関西転勤時代に淡山神社を訪ねたことがある。淡山神社は明日香村の裏手の山腹にあり、鎌足を祀った色彩豊かな神社である。そのド派手な淡山神社を知る私にとり目の前にある鎌足神社は、実に淋しく、果ては何か滑稽にさえ見えてくるのである。

 入口の左手にある説明板によると、ここが藤原鎌足の誕生の地であると書かれている。但し鎌足の生誕の地は二説あり奈良県橿原市にもそのような言い伝えがあるとも書いてある。そういえば私が関西で訪ねた橿原ならぬ飛鳥村大原には、たしか鎌足の産湯の井戸があったと記憶している。また説明板では、この鎌足神社がいつ建立されたかは不詳で、江戸から明治にかけて纏められた『新編常陸国誌』に、この神社が紹介されていると述べている。ここが鎌足の生地と言う伝説がいつ頃からあったのかは別として、この神社が建立されたのは、そう古くはなさそうである。せいぜい江戸時代中期ではなかろうか。また境内には明治二十五年に建てたという「大織冠藤原公古宅址碑」という石碑があった。つまり、当地が鹿島神宮の神官だったと伝えられる鎌足の父の住居址で、その長子である鎌足はここで生まれた、ということをこの碑は物語りたいのであろう。

画像
            <鎌足神社の祠>

 これは未だ詳しくは調べていないが、鎌足の鹿島誕生説は、どうも『大鏡』が発信源らしい。そうであれば『大鏡』の編纂された中古・平安まで遡ることになり、あながち異説とはいえない可能性も出てくる。鹿島説の粗筋をネット等で調べると、鎌足の母については、鎌足の父が鹿島神宮の神官を務めた際に常陸の国から迎えた女との説があり、その女との間に鎌足が生まれたという説が鹿島説の粗筋らしい。ただこの説の文献上の初出は江戸期らしいので信憑性は低いようだ。これがもし『大鏡』に記載されていれば信憑性は俄然高くなるが、どうもそこまでは書いていないようである。

 私が思うに鹿島説の出所要因は二点あるのではないかと思う。一つは鹿島神宮の古代における歴代神官を務めたのが中臣姓であったこと、二つ目が鎌足の母親の出自が歴史上明らかでないことの二点である。
 記紀神話を含め現代に残っている記述物は、往々にして権力側の世論操作を目的に改竄しているものも多い。むしろ民間の間に口承されたものが真実を伝えていると思った方がよい場合がある。現在の記述物絶対主義の考証姿勢は、庶民の識字率が上がった近世・近代については妥当なものであろうが、古代に於いては甚だ心細い考証態度かもしれない。むしろ考証姿勢を逆転すべきかもしれない。そう思うとド派手な淡山神社の存在と、目の前のささやかな鎌足神社の存在は、その逆転を訴えているのかもしれない。

 ともあれ近隣の鹿島神宮は記紀に登場する古い歴史を持つ神社であり、鎌足神社がのこのような話が、まことしやかに当地に伝わるのも、鹿島神宮のもつ歴史の重みと無関係ではないとも思う。
 「源平藤橘」は日本の名族である。そして奈良朝以降、誰しもが自分の祖先をそのような名族になぞらえてきた歴史がある。私も馬鹿な事とは思いながらも、幼少時に父から受けた呪文の縁もあり、もしそうであれば気の遠くなりそうな累代の祖に深々と拝礼し次の目的地に向かった。

<つづく>

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 4

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック