行って見たところ 湯抱 <その5>

 荒神谷・加茂岩倉の大発見は、梅原氏にとっては相当にショックな発見であったと思う。梅原氏には『水底の歌』と並ぶ代表的な著作に『神々の流竄』がある。これも出雲神話は虚構であり出雲には誇るべき文化は存在しなかったという前提に立った著作であった。そこには出雲は誇りうる文化どころか、近畿文化圏における権力闘争の敗者が流刑される地として取り扱われていた。『水底の歌』における人麻呂の配流先が、石見であるのもこの流れに沿ったものと見られる。梅原氏は荒神谷・加茂岩倉の大発見以降、この件に関しては沈黙を続けている。古田氏の著書によれば、出版社主催の古田氏との対談も拒否しているようである。

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            <荒神谷遺跡>
       日本でそれまでに出土された銅剣総数を
       上回る358本の銅剣が一箇所から出土
       した。同時に隣接地から銅鐸6個と、銅
       鉾が16本出土した。

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             <加茂岩倉遺跡>                         
       それまで出雲には銅鐸がないと言われてい
       たが、一挙に39ケの銅鐸が出土した。

 この二つの大発見は当然のことながら、本家の考古学分野に大きな衝撃を与えている。何しろ銅剣は九州文化圏、銅鐸は近畿文化圏のものという考古学界の長年の定説を破ったからである。また荒神谷では、それまでに日本各地で発見されていた銅剣の総数をあっさり上回る銅剣が一箇所で出土した。こうなると浮上するのは唯一完全な形で現存している『出雲風土記』の存在である。従来の記紀一辺倒の見方から、『出雲風土記』の内容が俄かに重きを浴びだしたのである。従来から『出雲風土記』の「国引き神話」は記紀の建国神話とは異なり、出雲国の独自色の強い内容と思われていた。しかしこの発見で出雲は大和政権の影響を受けない独立した、むしろ大和文化圏に対抗する文化を持つ集団組織により統治されていたのではないかという説が急に現実味を帯びて来たのである。

 数冊の人麻呂に関する著作を読み素朴な疑問が浮かんできた。それは、いずれも二つの視点が欠けている点である。一つ目は朝鮮半島の影響であり、二つ目が日本各地に残る人麻呂伝説の考慮である。前者については、日本在住の韓国人、朴炳植氏が『出雲風土記の謎』で大変ユニークな人麻呂像を描いている。朴氏は著書で人麻呂はもともと百済人であり、百済滅亡後に新羅への抵抗勢力としてゲリラ活動を続け、その後日本に亡命し帰化したと著わしている。日本に帰化後、漢文と詠歌能力を買われ持統天皇に仕えるが、持統天皇没後に政敵石川宮麻呂によって石見に追われ、その地で『出雲風土記』の編纂に関わった神宅臣金太理に深い影響を与えたという粗筋である。

 私がこの本で注目したいのは、古代に於ける朝鮮半島の影響である。朝鮮半島を船出すると海流の関係で、だいたい現在の島根県益田市周辺に漂着するという。百済や高句麗滅亡後、このようにして漂着した朝鮮半島の移民集団は相当数に上ると思われる。その集団が持っていた大陸の先進技術は、日本に測り知れない文化的・経済的効果をおよぼした筈である。その最大のものは、「タタラ」に代表される製鉄技術であろう。このことは改めて別の機会に述べたいと思っている。

 実は人麻呂の属する柿本氏は、小野氏と共に日本に製鉄・鍛冶技術をもたらしたと言われるワニ氏系に属している。因みに人麻呂の妻依羅娘子の依羅氏もワニ氏系の部族である。ワニ氏系の集団は当初出雲地方に本拠地を置き、その後砂鉄と木炭を求めて奥出雲・石見に進出し、鉄の流通と共に中国・近畿地方に移って行ったと考えられている。彼らが保有する製鉄・鍛冶技術は、その地の豪族に迎い入れられ、重きをなしていたと思われる。つまり古代出雲は大陸の最新技術を持ったハイテク集団が、なんらかの統率組織下で盤据していた一大文化圏であったのではないかと思われるのである。

 一方、後者の人麻呂伝説について注目したいのは、人麻呂に纏わる伝説の多さと、その内容である。特に製鉄・鍛冶に関わる伝説と貴種流離譚の伝説に着目すべきではないかと思っている。前者は人麻呂の属する柿本氏との関係、後者は水死(刑死とも)という非業の最期が関係しているものと思われている。

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       <大和岩雄著『人麻呂伝説』(白水社)>
       人麻呂には多くの伝説がある。(本書から)
        ・人麻呂若子伝説 ・人麻呂長寿伝説
        ・人麻呂翁童伝説 
        ・人麻呂配流伝説と貴種流離譚
        ・人麻呂伝説と在原業平・光源氏
        ・人麻呂片目伝説と鋳物師/鍛冶師/
         木地師
        ・猿丸/人丸伝説と猿女
        ・人麻呂伝説の最初の伝承氏族と遊部
        ・人麻呂伝説と「ハチヤ」

 人麻呂伝説については、大和岩雄(おおわいわお)氏の著作『人麻呂伝説』に詳しいが、この本には平安以降の古文書と共に柳田国男・折口信夫の著書、つまり民族学の著書も多く引用されている。

 柳田国男は若き日アナトール・フランスとハインリヒ・ハイネを貪り読んだという。中でもハイネの『諸神流竄』に衝撃を受け、この一冊が後の民俗学を興す天啓の書となったようである。日本では、ハイネと言えば一般に甘い青春・恋愛の詩を得意とする抒情詩人として知られている、しかし実際には、王の圧政と革命が渦巻く十九世紀のドイツで激しい社会批評を展開、一時は官憲に追われ国外で逃避生活を続けた情熱の革命家である。またキリスト教が布教名目で他民族の文化を圧殺・破壊してゆく現実を見かね、多くの少数民族の伝承や叙事、詩および文章類を後世に残そうとした。

 ハイネの理念は「人民の真実の精神」を基調にすることであり支配者のそれではない。この精神は柳田国男に引継がれ日本の民俗学創設に繋がる。しかし柳田が本腰を入れ民俗学の体系化に取り組んだのは、第二次世界大戦の敗戦が、きっかけであったと思われる。戦前とは言え為政者の一隅を暖めていた柳田は、若き日に学んだハイネの理念を失念していたであろう。戦時下国民が味わった阿鼻叫喚に対する鎮魂を込めた奉仕こそハイネの理念に還ること、つまり民俗学の大成であった。それは為政者の目線でなく、庶民の目で歴史を見、庶民の明日を考える学問であった。

<つづく>

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