行って見たところ 湯抱 <その6>

 柳田は若き日には詩人であった。想像できないことであるが恋愛詩で名を挙げた時期があった。また戦後、戦争責任を問われた茂吉は、あの有名な「現世の歌つくりは、つくづくとおのが悲しきWonne(おんね)に住むがよい」という言葉を残し郷里に隠遁する。高村光太郎も同様であった。共に若き日に詩人として世に出た三人であるが、ハイネの理念に目覚め詩を捨てた柳田の行動は二人とは異なっていた。沈黙の代わりに戦後直ぐに『炭焼日記』を出版し世に自分を晒した。そして国民のために余生を民俗学の大成に捧げる決意をする。

 横道に逸れてしまったが、古代研究はハイネに於けるキリスト教のごとく、あるいは『出雲風土記』における記紀のように正史が伝える陰の部分を鋭く読み解く方法論が必要である。その鍵は遺跡の出土品と古来民衆が語り伝えた伝承が握っているように思う。特に伝承は時の支配者層の意図には反作用として働く傾向があり、その時の民衆の心のメカニズムを分析、解明する民俗学が有効ではないかと勝手に思っている。

 湯抱温泉は物音ひとつせず、ひっそりしていた。通りの中央に佇ちつくしている私を何処かで感じ取っているのだろう、姿の見えない犬が相変わらず激しく鳴き続けている。誰か現れないかと、辺りを見回すが誰もいない。仕方がないので駐車場に引き返し歌碑を撮影、次の目的地に向うことにした。これは帰宅後分った事であるが、茂吉の鴨山は湯抱温泉を少し奥に行ったところにあり、鴨山を真正面に見る岡に町営の鴨山公園が整備されているらしい。茂吉記念館が開いていれば、或は湯抱温泉で誰かに会っていれば、鴨山公園の存在を知り茂吉の鴨山が見れたのにと悔やむが後の祭り、すべては事前調査不足のせいである。帰宅後、その鴨山の写真を見たが、あの辺りに多い三角錐状の普通の山であった。

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             <茂吉の鴨山>
       (犬養孝『万葉の旅(下)』社会思想社より) 
      カモのカは尊称の接頭語、モは場所を表す古代
      の言葉であると言う。従ってカモは神のいる場
      所になる。神名備た山は神の居る山、つまりカ
      モヤマと呼ばれ各地にある様である。茂吉はカ
      モがさらにカメに変化したと考え浜原にある亀
      という地名に注目し、湯抱周辺まで辿りついた。

 茂吉の湯抱鴨山説は、それまでに長らく信じられてきた終焉の地、益田市を否定する衝撃的な発表であったためか、今までに多くの人が湯抱鴨山を訪れている。前出の古田氏もその一人である。

 波多野氏はわたしに対して、たんたんと、「斎藤先生の鴨山は、ここなのです」といわれた。いいすぎを避けようとする謙虚さがあった。(古田武彦『人麿の運命』原書房から)

 古田氏が湯抱を訪ねたとき、案内してくれた波田野(旧姓苦木)氏の言葉である。当時波多野氏は七十歳代でまだ健在であった。古田氏は波田野氏の言動に、言いすぎを自重する謙虚さを感じたようであるが、それは決して茂吉の鴨山説に対する引け目ではなく、舌鋒鋭い人麻呂研究家古田氏に対するある種の警戒心も含まれていたのではないかと思う。謙虚さは人麻呂研究家、ひいては全ての研究家に求められる基本的な姿勢でもある。私が思うには、その時波田野氏の脳裏には、謙虚さと共に『鴨山考』で茂吉が述べている「鴨山は永久に不明」という言葉も同居していたのではないかと思うのである。

 湯抱温泉を後にして再び茂吉の記念館を通り過ぎ、JR粕淵駅に向った。記念館を通り過ぎるときチラッと見た記念館の標識は、気のせいか寂しそうに少し傾き老茂吉翁の顔と重なった。

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             <記念館標識>
       和歌実作者の感性を優先し、ここに辿り着
       いた茂吉は偉いと思う。その毅然とした姿
       勢に圧倒されたのか、茂吉生存中に湯抱鴨
       山説に、さしたる批判は出なかったという。

 湯抱から粕淵までは一挙に急峻な坂道を下る。交通量は少ないが急カーブと工事中のヶ所が多く、運転の気を抜けない。下りきると旧粕淵村、現在は美郷町の中心地に出る。遅い昼食をここでとることにする。町役場の横の急峻な道を上りつめた高台に「ゴールデンユートピアおおち」の看板があった。眺めが良さそうなのでそこで昼食をとることにした。食堂の窓際に座ると予想したとおりの眺めであった。正面に形のよい大きな円錐形の山があり、その麓を回り込むように江の川が蛇行していた。江の川の源流は広島県の山間部で、ここ粕淵でヘアピンのように急カーブで流れを変え、遥か江津市で日本海に注ぐ。

 帰宅後地図で見ると正面の形のよい山は、まさしく茂吉が最初に鴨山と定めた津目山(つのめやま)であった。してみるとその左手の山麓が浜原で、その近くに旧亀村があった筈である。
 いま本文を書きながら湯抱、粕淵の風景を思い出している。同時に波田野氏が呟いた、あの言葉が脳内で木霊し始めた。

     「斎藤先生の鴨山は、ここなのです」

 < 了 >

・参考文献

 ・大和岩雄 『人麻呂伝説』白水社、1991年2月28日
 ・朴炳植『出雲風土記の謎-秘められた人麿の怨念』毎日新聞社、1990年9月5日
 ・犬養孝『万葉の旅(下)』社会思想社、1964年7月30日
 ・梅原猛『水底の歌-柿本人麿論』上・下巻、新潮社、昭和58年2月25日
 ・古田武彦 『人麿の運命』原書房、1994年3月3日
 ・斎藤茂吉「鴨山考」「柿本人麿私見覚書」『現代日本文学大系38斎藤茂吉集』筑摩書房、昭和60年11月10日

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