円の発想 <その12>

 前述した森竹さんの記事は、大略以下のように纏められます。
 A 生徒のほぼ全員が縄文時代、つまり貧富のない平等な世界を
    望んでいる。
 B しかし先生は現実社会は、そうでないことを認識させ、その
   ような社会を、どう生るかを考えながら自立の精神を身につ
   けるよう指導したい。
 Aは、小学生低学年だからということではなく、人類の普遍的な願いでもある。ではBはどうだろう。森竹先生は現実の社会が子供たちの望む社会とは違うことを、嫌というほど知っている。このため、子供たちには、その現実を受け入れた上で自立するように導くことが教育者の務めという信念に迷いはない。つまりA,Bには特に問題はない。

 しかし私は、ここで敢えて問題にしたいことがある。それは、このAとBの間に横たわる意識上のギャップである。つまりAは現実に在り得ない社会であることを前提に全てが出発している点である。縄文時代と云う実存した社会を一旦は子供に教えながら、そのような社会は今や実現不可能な社会であると諭し、現実的な対応だけに執着する教育の在り方。またそれを是とする国や社会の趨勢が根本的に間違っているのではないかと思う。生徒のほぼ全員が支持した理想社会は授業を受けた途端に否定され、子供の心から瞬時に取り除かれてしまう。とても現実的な教育とは思うが、反面何かもの足りないような気がする。

 だが、そのような教育現場が現在の日本の一般的な教育なのであろう。判で押したようなパターン認識の訓練と、その数の多さだけを競い、ロボットのような人格を作り上げている。それに寄生する教育産業がさらなる完璧なロボット化プログラムで、これに拍車をかけている。これでは奈良時代、先人が導入を控えた唐の科挙制度の日本版の焼き直しを現在に至り必死に目指している訳である。日本人も劣化してしまったと思う。

 正岡子規が余命を悟り後継者に虚子を当てようとして失敗したとき、「私の後継者は今頃、田舎で橡の木に登り橡の木をゆすっている奴だ」と云うようなことを言い、地方に多くの人材がいて屹度私の後を継承してくれるだろうと自らを慰めたという。私も子規の考えに賛成である、生な知恵のついたロボットよりは、無教育な自然児の方が、はるかに魅力に富んだ人材として将来が期待できると思うからだ。

 現在のような教育が罷り通るようになったのは明治以降のことではないかと思っている。それまでは日本人には日本人の魂の拠り所があり、その元で価値判断がなされ、時の為政者に大きな影響を与えて来たように思う。かつて柳田国男は『木綿以前のこと』の中で、次のような言葉を述べている。

 次の時代の幸福なる新風潮のためには、やはり国民の心理に基づいて、別に新しい考え方をして見ねばならない。(『木綿以前のこと』)

 農水省の官僚として、明治という新しい時代を築いてきた柳田が、大正十三年にその半生を振り返って述べた言葉である。明治政府が執ってきた有無を言わせない欧化政策に対する何がしかの反省が含まれた言葉と思う。そしてその欧化政策が、急速に右傾化してゆくターニングポイントでの、このさりげない言葉は、次の昭和という激動の時代をすでに予測していたようにも思えてくる。

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          <釈迦堂遺跡の土偶群>
    全国で出土した総数は約15,000体と言われ、縄文時代
    に約三千万個作られた説もある。出土は東日本に偏って
    おり、その製作目的は正確には分からない。出土する土
    偶の大半は破損しており、脚部の一方を故意に壊した例
    が多い。そのため、祭祀の際に壊して厄祓いしたという
    説が主流である。

 話は逸れるが、コンピューター用語に「ホームポジション(Home Position)」という言葉がある。例えばキーボード入力の際、左右の手の置き場所を固定(通常は右手人差指がJ、左手がF)し、その位置を起点として十本の指がそれぞれの守備範囲を受け持ち文字が入力される。この基本動作が体得できないと、あの憧れの「ブラインドタッチ」は体現出来ない。最近、この考え方は乗用車のギアシフトにも採用されている。従来のニュートラルな位置を「ホームポジション」として、そこをレバーの定常位置として、最適なギア位置に最速でシフト可能なように配慮されている。船で言えば母港、野球で言えばホームグランド、サッカーでいえばホームピッチに相当しよう。つまり気の置けない、居心地の良い、最も快適、かつ効率的な居場所、あるいは原点に還る居場所を意味する。日本人にも、かつては確とした心の「ホームポジション」があったと思う。

 その「ホームポジション」が、いつの間にか薄らいでしまったのは、やはり戦後の米軍占領政策に密接に関わるものと思われる。特に民主主義という新しい錦の御旗のもとで、アングロ・サクソン人(アメリカ人)特有の周到な占領プログラムが完璧に機能した結果ではないかと個人的に思っている。伝統は古くカビ臭く日本を破滅に導いたものとして破壊すべきものであるという意識を極めて巧妙に、しかも若手知識人を取込み日本人自らの手で意識変革が進められた結果ではないかと思っている。

 かつて日本人が保有していた「ホームポジション」は、どのようなものであろうか。それは紛れもなく、このシリーズで、長々と述べてきた「円の発想」にあると思う。何故なら日本人には、中国・インドにもなかった、いや世界を見渡しても例のない、一万年におよぶ縄文文化の歴史を持つ民族だったからである。
 つまり繰り返すことになるが、ピュアな旧モンゴロイド系人種による他国にない恵まれた自然環境の中で、身分制を否定し支配者階級のない共生社会が営々と一万年も営まれていたのである。その原初的で気の遠くなるような生活の時・空間こそ、日本人の魂の故郷である。そこは、日本人の深層心理を占める「母性の原理」と、世界にもあまり類のない自然を慈しみ自然に生かされていると認識するアミニズム「円の発想」が同居する日本人に最も居心地の良い場所なのである。

  この日本人の「ホームポジション」は、我が国が大きな災難に襲われた時、必ず、かつ確実に作動してきたものと思う。つまり国難に当たる指針の拠り所として機能して来たように思う。国難には大別すれば、形而上なものと形而下なものの二種類があろう。前者の代表例は、外来文化が流入にした際の民意の混乱であり、後者の代表例は天災であろう。

 前者の顕著な例として、明治維新に匹敵する、いやそれ以上のショックを民心に与えたものに前章でも述べた大宝・養老律令がある。つまり日本に初めて本格的な王権制度として導入された唐の律令制の導入のことである。私はこの導入のとき働いた日本独自のチェック機能を大きく評価している。何を評価しているかというと中国的な王権制度のうち易姓革命(王朝交替)、官吏登用試験(科挙)、宦官制という最も専制的な支配制度を、日本人に合わないものとして採用しなかったことである。

 この時に働いた国民的なチェック機能こそ、縄文時代から延々と日本人の心に流れて来た「円の発想」だったと思う。それまで大陸で展開されてきた王権確立の歴史は民心を徹底的に無視した覇権闘争の歴史でもあった。その結果為政者と民衆の間には拭えきれない不信感の大河が開鑿されていた。しかし幸いなことに日本には、そのような根強い不信感は大王と民衆の間には醸成されなかった。その理由は長い縄文時代に培われてきた「円の発想」があったからだと私は思っている。

 繰り返すと唐文化の最も専制的な支配制度である易姓革命(王朝交替)、官吏登用試験(科挙)、宦官制を排除したことが日本人の偉大な点であり、その後に続く日本的な統治基盤である天皇制の構築を可能にしたと思っている。つまり後に竹内好が期せずして言った「一木一草の天皇制」である。そこには世界に類のない君臣間の相互信頼感が空気のように存在していたと思う。

 また後者の天災に当たっても十分にそのチェック機能を果たしてきた。日本は世界に類を見ない災害国である。約半世紀ごとに大きな天災(地震、津波、大型台風、時には江戸の大火なども)に見舞われて来た。欧州諸国のように何世紀もの間、大きな天変地異のない諸国とは、まるで様相が違うように思う。東日本大震災の折、整然と炊き出しに並ぶ被災者に世界は驚いたが、日本では日本人がこの国に住みついたときから繰り返されて来た、ごく普通の事なのではなかろうか。

 むしろこれは世界的な視点から見ればアブノーマルな文化であるかも知れない。日本では二十数年前に阪神・淡路大震災が発生している。また今回の東日本大震災で大きな被害を被った。特に岩手三陸沖は、明治二十九年にも二万人を超える犠牲者を出す地震・津波に襲われていたのである。つまり三陸地方は明治の復興が終わり、ようやく災害を忘れかけていた矢先に再び大震災に襲われたのである。まさに日本は「震災は忘れた頃にやってくる」国なのだ。

 そのような天災国日本に住む日本人が、古代から続く災害に対して行ってきたことは、どのような災害があっても、決して自然に抗うことはしなかったことであろう。ひたすら過ぎ去るのを待ち、過ぎ去った後、何事もなかったように黙々と復興に当たってきたのである。今回のような自然を圧する防潮堤構築などは間違っても発想しなかったと思う。どうも日本人は古来、天災と復興はひとつのセットと捉えていた節がある。天災を八百万の神の意志と考え、天災は自然に対する人間の奢りを戒める機会と受け止めて来たようだ。そして、さらに重要なことは、このセットが国内の内需を喚起し、結果として日本の活力を生み続けてきたことを日本人は体験から知っていたように思うのである。

 少し横道に逸れるが、誤解を恐れずに言えば、日本の日本らしさは「高温多湿がもたらす森林」と「天災」にあるといえる。この二つが日本に活力と平和をもたらして来たとさえ言える。伐っても、伐っても直ぐ再生する森林は、日本にコメと鉄をもたらし続けて来た。大陸の古代文明都市は日本のようには行かなかった。どの文明も鉄の生産で森林は枯渇し数世紀で滅亡していった。森林が枯渇すれば鉄もコメも作れない、少ない水分で育つ小麦の栽培がやっとである。つまり食糧危機が常態的となり、他民族への侵略と殺戮を繰り返して来たように思う。

 たぶん西洋の世界が落ち着いてきたのは、十九世紀にアジア・アフリカ・南アメリカに植民地を得てからのことではないかと思う。ただ、植民地の殺戮と搾取は悲惨を極めたものであった。日本は幸いにして、領主国にも植民地にもならなかったが、半世紀前、西洋列強の一角を狙い、満州と朝鮮を不幸にして植民地化してしまった。しかしアーリア人(この場合、広義のアーリア人を指す、つまりヨーロッパ言語を話す民族)のような凄惨を極める殺戮や搾取はなかった。いや正確に言えば、出来なかったと思っている。そこにはアーリア人、つまり父性の原理を深層心理にもつ民族と、母性の原理で物事を発想する日本民族の違いがあったからである。

<つづく>

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