ガラガラ・ポン

 かねがね我が国の風景は乱雑で殺風景でどうしようもない、ひどいものだと思っていた。たまに海外に出て帰国し、成田空港近辺で出会う乱雑な窓外風景には、いつも落胆してしまう。特にヨーロッパからの帰国の際、その度合いが大きい。
 乱雑と思う光景には二種類あり、自然の風景と街の景観の双方に感じる。先ず目に入る鬱蒼と生い茂る雑草と樹木は、湿度の高さも手伝い身体に纏わり着くようだ。ヨーロッパの乾燥した土地の草木とは、その密度と勢いが桁違いに違う。さらに街が近付くと乱立する毒々しい原色の看板、住宅、商店、工場、田畑が自由気ままに窓外に展開してくる。その空間をクモの巣のように電柱と電線が張り巡らされている。ヨーロッパの例えばドイツのロマンチック街道などを観光旅行した後、わが国のこの光景を見ると恥ずかしくて泣きたくなるほどである。

 西欧諸国は土地私有制でないため、都市計画や国土の統制が容易である。ドイツのビッグ・バンを走るとそれがよく分る。工場や流通施設は山あいや林の陰に目立たないように建てられているし、住宅地と田園地帯は整然と分けられている。司馬遼太郎も、私と同じ思いをしたらしく、著書『街道をゆく』で日本の土地私有制を激しく罵っている。私も最近までは、その通りだと思っていた。土地私有制を廃すチャンスは過去に二度あったと思う。国の存続自体が危ぶまれ、ビッグ・バン的な出直しをした明治維新と第二次世界大戦の敗戦直後である。しかしその際も土地私有制は日本の根幹をなすものとして残されたようだ。

 確かに土地私有制は今更どうにもならないが、看板の規制や電柱の廃止(地下化)ぐらいは行政の工夫で何とでも出来そうなものである。政治家にはそのような考えは毛頭ないようだ。特に電柱ほど都市景観を壊しているものはない。先進国で送電に電柱が幅を利かせているのは日本ぐらいではないだろうか。地震国だから電線の地下化は出来ないというのは、ガスや水道の例を引くまでもなく理由にはならない。むしろ感電や火災を考えれば安心かもしれない。これも電力会社と政界の癒着の産物かと疑いたくなる。

 ところが、である。この長年持ち続けて来た景観への思いが、右の電柱の一件を除いて最近大きく変わりつつある。つまり混沌こそ日本の特質、いや世界に誇れる文化ではないかと思うようになってきたからである。きっかけは趣味で始めた俳句であった。俳句や俳諧の本を読んでいるうちに、何となく日本の自然や日本人というものに興味が湧いてきた。このため、それらに関する文献を読んでいるうちに日本の自然が、他国とは相当に異なることが分って来た。温暖で高温多湿の風土は四季と旺盛な植生物の繁殖という豊かさをもたらした。反面大きな地層(プレート)の合流点に浮かぶ日本列島は定期的に峻烈な災害を引き起こす天災列島でもあった。

 この世界に例を見ない日本列島の二つの特徴は、「日本人」という、これまた世界にあまり類のない人種を生み出したようだ。また日本列島のもたらす豊穣と破壊は日本人に「無常」という独特の世界観をもたらした。天災はないが常に不毛の不安に慄(おののい)ていた大陸の乾燥諸国とは、自ずと価値観を異にするものであろう。

 この価値観の差は、双方の人種の深層心理にも大きな影響を与えているようだ。つまり心理学者河合隼雄のいうヨーロッパ人の父性原理に対する日本人の母性原理である。生きるために区別することを根幹とするヨーロッパ人は、自然や人間にも冷徹な区別を如(し)き、自然科学と奴隷と言う峻烈な身分制を生みだした。科学は産業革命を起こしたが、人権は前世期末にようやく近代市民的自我を確立した。

 他方、豊穣であるが壊滅的な自然災害に怯える日本人は、基本的に差別よりも共生を重視したようだ。共生の思想は君(天皇)民(庶民)の間にも基調として流れ、奈良朝このかた易姓革命などの入りこむ余地はなかった。このような双方の深層心理の違いは、美的価値観や都市景観にも自然に表れるもので、それを悔いても始まらない。どちらが良い悪いではなく、詰まるところ自然環境の違い(風土)が生み出したものなのであろう。

画像
           <ティム・バートン>
     1958年米カリフォルニア州生まれ。ヂィズニー
     ・スタジオのアニメーターを経て映画監督に。主な
     作品『ビートルジュース』(88年)、『バットマン』
     (89年)、『シザーハンズ』(90年)など。

 先日、東京新聞に載ったある記事(2014.11.7朝刊「TOKYO発」)が面白かった。米国の映画監督ティム・バートン氏が東京を語るもので、日本に来ると「違う惑星にたどり着いたような良い気分になる」そうで、自分の想像力を刺激する大好きな街だと言う。米国加州郊外に生まれ、「中産階級の同じような家並が続く典型的なベッドタウンで同じような毎日」を過ごした。そのような少年時代の「平凡で画一的な日々」を救ったのが日本の怪獣映画だったという。それから日本が好きになり何度も来日、「夜の新宿とか小さな飲み屋が連なっているところも面白い。車から景色を眺めるだけでも『おお』と目を見張る。街の雰囲気が好きだ」と語る。

 何のことはない、ティムの言っていることは、我々がヨーロッパに行き「違う惑星」と感じる点で同質なのである。つまり西欧は区別され整理された世界、逆に日本は区別せず何もかもが一緒くたの混沌世界なのだ。換言すれば西欧は落ち着いた均整美を感じるが、ややすると平凡で画一的、時には「停滞」に陥りかねない。他方、日本はハチャメチャで不均衡であるが、活力があり想像力を刺激する世界なのだろう。確かに日本の活力源は「ガラガラ・ポン」、つまり何でも受け入れ、その中から良いところを取り出す精神にあるのかも知れない。

 長い間、日本の乱雑な景観にコンプレックスを抱いていたが、日本はいたずらに西欧の真似をする必要はなく、「ガラガラ・ポン」の精神を押し通すのが一番良いのだろうと、最近思うようになった。そして、その結果が現在の日本の景観なのだろう・・・と。

 「ガラガラ・ポン」こそ、日本の文化なのだ。

< 了 >

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック