『土佐源氏』考〈その四〉

 前掲『土佐源氏』考〈その二〉で紹介した網野の文章で、私は以下の部分に驚いたことを述べた。

 「少なくとも江戸時代以降の日本の社会では男性がすべての権利を独占しており、女性は男性の意思のもとに完全に屈従させられていたとこれまでは考えられてきました。しかしこれはおそらく明治以後の法制がつくりだした虚像であり、社会の実態はかなり違ったのではないかと思います」

 このような驚天動地の言が、実は網野の『『忘れられた日本人』を読む』を読むとさらに二つ出てくる。一つは日本が単一国家ではなく、少なくとも東国と西国は様々な面で違うこと、二つ目は日本がよく云われているような農耕単一民族ではなく実に多様な職種の種族が日本国を支えていたことである。この二つについては本論の趣旨から外れるので詳述はしないが、重要なことは、このような発見が日本で生まれた民俗学という学問分野によってもたらされているということだ。

 お叱りを承知で敢えて言えば柳田国男の言う「借り物の学問」、つまり明治以降日本に入った洋学では、こう云う発見は出来ないように思う。なぜかと言えば、いささか飛躍した理由になるが、現在の洋学を基本とした学問では、宮本常一のようなスタイルをもった研究者は出ないと思うからだ。別の言い方をすれば、現在の洋学では宮本が実現した「発見」をフィールド(生活)からではなく文献から得ようとするからである。

 偉そうなことを言ってしまったが率直に言って、私は学問上の「文献」は確かに貴重であるが、あまりその文献に凭れると「形骸化」という出口なきトンネルに入る危険性を秘めているように思う。宮本を評価した昭和の知識人たちは、たぶん自戒を込めて宮本の研究姿勢を高く評価した人達ではなかったかと思う。その当時の宮本を評価した知識人(前掲)のメンバーを眺めると特にそう思う。

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       < 外山滋比古 (1928年~2004年)>

      教授時代に学生が卒論を書く力がないことを嘆き、
      二十年前に書いた『思考の整理学』が、現在「東大
      生・京大生に一番読まれた本」になった。同時に、
      この本が現代の大学の学問のあり方に大きな一石
      を投じることになった。外山が、この本を書くきっか
      けとなったのは学生時代に体験した編集者の仕事
      と陶芸のろくろ回しであった。学問とは本ではなく
      体験を通して考えることが基本だということを知った
      という。

 また余談になるが数日前「久米書店」というテレビ番組に、今年九十一歳になる外山滋比古がゲスト出演していた。まずその矍鑠(かくしゃく)とした容姿と語り口に驚いた。話の中心は近著『「忘れる」力』の内容であったが、番組の最後で司会者の久米宏を相手にとても気になる話をされた。その内容を掻い摘んで述べれば「これからの日本は洋学ではなく日本独自の学問を幾つも起こさなくてはならない」と言う様な話をしたのである。外山滋比古といえば英文学が専攻の文学博士であり、言語学にも造詣が深い研究者である。また国内外の文化にも深く通じている外山氏のいう「日本独自の学問」とは一体何なのか大変気になった。しかし残念なことに司会はそれ以上踏み込まなかった。

 番組が終わり、外山氏のいう「日本独自の学問」が気になったので、彼に関するノートや手持ちの書籍を当たってみたが、それらしき痕跡は得られなかった。ただ私は調べる際に直感として日本民俗学に中(あた)りをつけていた。つまり外山氏と日本民俗学の接点を探したのだ。その中りに確かな理由はない。一つだけ挙げれば氏の俳諧・俳句に関する深い洞察力である。私は外山氏の俳句論にしばしば驚かされていた。そしてその理解の背景に、氏の並々ならぬ日本文化への愛着と誇りがあることを感じていた。外山氏は、そういう日本人がもっている良さを生かした学問を興す必要性を考えている。私はそのように勝手に結論づけて、この件を切り上げることにした。

 ただ、その民俗学も大きな流れで言えば、柳田―宮本―網野―赤坂(憲雄)と続いているが、網野はすでに他界し、赤坂氏も還暦を超えてしまった。赤坂氏に続く人材がとても気になるところである。本論の冒頭部分で私は宮本の『忘れられた日本人』を読み、特にその中の『土佐源氏』に衝撃を受け次の二つの疑問に興味を抱いたことを上げた。

・宮本常一の「何」が当時の文化人・知識人の胸を打ったのだろうか。
・民俗学をめぐる柳田国男との関係。

 前者に関する私の考えは既に述べ尽くしてしまったが、その拙文を謝する上で、模範となる二人の文章を紹介したい。先ずは佐野眞一氏である。

 宮本が伝える情報は、現れては直ぐ消える昨今のバブル情報ではなく、さわればはちきれそうな実質がぎっしりとつまっていた。マスメディアの発達は、流されたとたん消費される刹那的な情報を垂れ流すだけの役割しかもたらさなかった。これに対し宮本には、歩いた土地から得た情報によって人々の生活を豊かにするという明確な目的意識があった。いや、宮本のもたらす情報そのもののなかに、豊かさがすでにはらまれていた。(『旅する巨人』の「あとがき」から)

 そして、網野善彦の言葉である。

 とくに最晩年の宮本さんの発言は非常に印象的です。進歩とは何なのであろうか、これまで自分は発展と言ってきたけれども、発展とは何なのだろうか、進歩という名のもとにわれわれはじつにたくさんのものを切り捨ててきたのではないか、ということをはっきり言われるようになります。これは現代の根源的な問題だと思いますが、その意味でも宮本さんのこうした学問的な歩みをたどることはただ個人の学問の問題だけではなく、近代の学問そのものの歴史を考える上にも、また人類史全体を考えるためにも必要なことではないかと思います。(『『忘れられた日本人』を読む』、25ページ)

 つまり「借り物の学問」、特に史学への痛烈な批判が、二つの疑問の前者の結論ではなかったかと思っている。

<つづく>

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