飴山実のこと その5

 以下俳壇と俳句のことを書くつもりでいるが、筆が進まない。進まない理由は明らかである。俳壇の実態がよく分らないのだ。俳壇が一枚岩でないことも理由の一つかと思う。先日ネットで調べてみたら俳句に関する大きな団体が、なんと六つもあった。「現代俳句協会」「俳人協会」「日本伝統俳句協会」「国際俳句交流協会」「世界俳句協会」「日本学生俳句協会」である。幸か不幸か私はこのいずれの協会にも属したことはない。単純に俳句を楽しんでいる私には協会はどうでもよかった。

 ただ俳人協会が運営する俳句文学館は時々利用させてもらっている。入場料百円を払えば会員でなくとも気軽に利用できるからだ。したがって私には協会を語る資格はない。思うに俳壇を語るにはこれらの協会でなく、五百とも千ともいわれる俳句結社の実態を語る方が相応しいかと思う。しかし、私の結社経験は一社しかなく、これも語るには余りに少な過ぎる。

 かつて「第二芸術」論を調査する際、俳壇史を数冊読んだことがある。赤城さかえの『戦後俳句論争史』、松井利彦の『近代俳論史』、松岡潔の『現代俳句評論史』、山下一海の『俳句の歴史』などである。これらの著書を読み終えて得た私なりの結論を一口で言えば「俳壇史は伝統俳句と西洋芸術精神の闘争史」であった。さらに言わしてもらえば「虚子ホトトギス対反ホトトギスの鬩(せめ)ぎ合いの歴史」とも言える。

 その点で虚子はよく闘ったと思う。闘った相手は多く、明治大正期は碧梧桐の新傾向俳句、また昭和に入り秋桜子の昭和俳句、さらに戦後は桑原武夫の『第二芸術』論である。その点で桑原が指摘した「俳人は徒党を組むのが好きだ」という言は正しいかと思う。また飴山のいう「俳壇史と俳句史は区別しないと俳句史の姿をちゃんと掴めない」という言葉もよく理解できる。

 そこで私は俳壇を見る新しい物差しを使うことにした。その物差しとは鶴見俊輔の『限界芸術』である。俳壇と俳句の関係を見るに「限界芸術」を持ち出す理由は、双方の関係をコミュニケーション論と組織論の二点で見る必要性を感じたからである。つまり俳壇(各協会と俳句結社)を考える上で、俳句以前にマスコミや商業主義の影響を考慮することは重要である。例えばNHKの俳句番組や大手新聞、および雑誌の俳句欄を見れば一目了然である。

 大手俳句結社の主宰クラスは、この選者になることに血眼である。つまりマスコミを通じて名を上げることが会員確保や収入に直結するからだ。彼らが俳壇(協会)で重きをなすには、自派の会員数やマスコミでの知名度が大きな要素になる。一例を上げれば大手新聞の俳句欄選者になれば、自派の協会員や結社会員を大幅に増やせるし、高額な年収(一説によれば一千万前後)も大変魅力的である。桑原が『第二芸術』で指摘した「俳壇的体質」とは、まさにこのことにあろう。

画像
          <鶴見俊輔『限界芸術』>
     鶴見祐輔の長男、東京生まれ。後藤新平は外叔父。
     少年時代は手のつけられない悪童で多くのエピソード
     をもつ。十五歳で渡米、ハーバード大学で哲学を専攻、
     滞米期間は僅か二年半であったが、成績優秀で飛び
     級し大学を卒業、戦争で帰国。戦後大学教授を歴任。
     米国のプラグマティズムの紹介者としても有名、桑原
     武夫などに影響を与えた。ベ平連、九条の会発起人
     の一人。 昨年(2015)七月に没、行年九十三歳。

 以前、石田波郷の御子息が書いた本を読んだことがある。波郷は俳人として世に出て以降特に定職をもたなかった。俳句関係の講演や新聞雑誌等への寄稿等で十分生計が計れたのだ。しかも、その収入額は当時の会社員の平均収入を上回るものがあったという。勿論、世の結社の主宰が総てそうではない。生涯地道に信頼する仲間と俳句活動に努める立派な主宰・代表を私は何人も知っている。しかし、マスコミが俳句を広く社会に広報しているのも一面の真実である。

 古くは正岡子規が新聞『日本』を武器として旧派と呼ばれた旧俳壇を瞬く間に席捲してしまったこと。また虚子俳句が急成長するのも雑誌『ホトトギス』が大正から昭和にかけて文芸誌の先駆けとして広く大衆に受け入れられたことによる。すなわち子規も虚子もマスコミのもつ威力を上手に利用して勝ち残って来たとも言えるのである。本人達がマスコミの威力をどこまで意識していたかとは別に、そこには経営的才能という、おおよそ俳句とは無関係の才能が関与していたことも確かな事実である。

 鶴見の『限界芸術』を読んだのは前述した『第二芸術』論の調査中である。桑原武夫は昭和21年に『第二芸術』を発表したが、その文庫版を昭和51年に再版する。その際に書いた序文の中に鶴見の『限界芸術』の記述があった。桑原は『第二芸術』の発表後、騒然とする俳壇を余所に長期間沈黙を通した。漸くそれに触れるのは三十年後のことで、さる新聞紙上の随想めいた文章の中である。それも具体的な内容に立ち入ることはなかった。しかし、この文庫版の序文では『第二芸術』執筆当時、俳句の見方に誤りがあったことを僅かながら認めている。

 つまり『第二芸術』で否定した長谷川如是閑の「全国民的性格」(俳諧を生んだ日本の文化的土壌)の土壌が友人鶴見の「限界芸術」の領域と重なることを知り、これを認めたのである。そして桑原は執筆当時、鶴見が行なった芸術の分類に関する考え方はなかったことを告白している。私は、この文章が気になり鶴見の『限界芸術』を読んで驚愕した。鶴見の芸術観は当時の私の予想を遥かに超える視点で書かれていたからである。

 話を『限界芸術』に戻すと、私はこれを読むことで桑原の『第二芸術』で示した芸術観が極めて西洋に偏ったものであったこと。そして私の当初の予想通り『第二芸術』論は芸術論ではなく日本と西洋の文化的論的要素を深く内包していることを確信した。つまり『第二芸術』は、これを芸術論として読んでは俳句の本質を見失う極めて啓蒙的な本であることを再認識したのである。

 私は先に飴山の俳句観を俳諧に根差したもの(飴山はこれを「本筋」といっている)と述べたが、そのことを理解する上でも鶴見の『限界芸術』は非常に有効であった。次回はそのことについて述べたい。

<つづく>

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この記事へのコメント

坐禅草
2016年01月10日 20:51
興味深く読ませて頂きました。礼いたします。当方俳句に興味と言うか自己流でやっているものです。この記事はまことに興味深く、常々考えていることが文字になって表れているので、興味惹かれました。わたしは、俳句のことはあなたのように知識はありません。でも、おっしゃっていることはよーくわかります。そしてこの論理というか考え方で言うのならば、世の中なべてそんなものではないでしょうか?日本国民の俳句愛好者はかなりの数になるといいます。それだけ指南の需要があるわけです。つまりこれは当然の事理ではないでしょうか。わたしとしては、俳句は楽しめればよいと考えるものです。なによりもスッキリと詠めればそれでいいのではないかと思ってます。
それでぜひお伺いしたい。あなた様は俳句をどうお考えですか?他人から認められたいということと、己の楽しみということと、どうお考えですか。いつでも結構ですからこのブログでぜひ披歴していただけないでしょうか。多々失礼を顧みず書かせて頂きました。ご容赦ください。
2016年01月11日 00:00
座禅草さんコメント有難うございます。
お尋ねの件ですが、私の俳句への姿勢は座禅草さん同様、己の楽しみのためにやっております。かつて大きな結社に属しておりましたが辞めて、最近は気の合う仲間内でやっております。句会後の一献がなによりの楽しみです。

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