Sさんのこと <その3>
前章でSさんの一文を「忽然と思い出した」と書いてしまったが正確ではない。冒頭に書いたように、その切っ掛けは私のある感傷にある。その感傷は前述した四年前の入院経験と密接に関係している。つまり、いつ逝ってもおかしくない晩節を迎え、どういう心構えで日々を過ごせばよいかということにある。そのような自覚のもとにその種の本を読みだしたとき、ふとSさんの一文が脳裏を過ったのである。つまり「あれは病体から出た弱音ではなく、Sさんの厳粛なる死生観ではなっかたか」と、それこそ忽然と思い付いたのである。
Sさんは山椒魚の研究者で、且つ俳人加藤かけいの研究者でもある。順序立てて言えば、先ず山椒魚に興味を持ち、そのことを調べているうちに加藤かけいに巡り合い、加藤かけいを知るため俳句を習得した。冒頭で紹介した二冊の著書のうち『山椒魚の故郷』はSさんの故郷近くに住む俳人と山椒魚を仲介にした交流を描いたもので、第四回岡山・吉備の国文学賞を受けている。もう一冊の分厚い方の著書『山椒魚の謎』は加藤かけいの研究書である。かなりの力作で、おそらく加藤かけい研究に関しては俳壇でもSさんの右に出る者はいないと思う。私は今回、この二冊を読み返してみて、Sさんの著作者としての力量を再認識した。
Sさんが山椒魚文学を研究するようになったのは、学生時代に愛読した井伏鱒二の『山椒魚』や、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』、およびオクタビオ・パスの詩『サラマンドラ』などの書物を通し、山椒魚が哲学的な存在であることを知ったことによる。私も中学生時代に『白鯨』を読み感動で夜寝れなかったことを覚えているが、山椒魚と哲学の話は記憶にない。Sさんは山椒魚と哲学の関係を知るため『白鯨』を原書でも読んでいる。因みにSさんは外語大出身である。
ハーマン・メルヴィル『白鯨 上』(岩波書店)
作品の中に出てくるSalamanderを訳者は、なべて
「大火炎獣のごとき怪魔」(阿部知二訳)と訳した。
これは誤訳で山椒魚であろうと、Sさんは五十歳
近くになり気付き、その後の山椒魚研究の端緒と
なった。
しかしSさんは山椒魚と哲学との関係が、いまひとつ腑に落ちないため他の文学ジャンルを漁り、遂に新宿の俳句文学館にたどり着いた。そこで山椒魚に関係した二冊の句集を発掘する。その一つが、Sさんの生家近辺に住む女流俳人Hさんの句集『山椒魚』で、他は名古屋の俳人加藤かけいの句集『山椒魚百句』である。前者Hさんとの交流は、エッセイ『山椒魚の故郷』となり岡山県の文学賞につながった。Sさんはそのエッセイで少年時代に生家脇の清流で「はんざき(Sさんの故郷では山椒魚をそう呼んでいた)」を捕まえ、一家で食したエピソードを紹介している。思うに、この経験がSさんの山椒魚研究の原点ではないかと私は考えている。
さて、二冊目の『山椒魚百句』である。その百句の中の「哲学の貌またたかぬ山椒魚」という句と、句集後記に書かれていた「『山椒魚百句』は私の自画像であり、私の人生観であり、私の哲学である」という一文が、Sさんを加藤かけい研究に引きずり込むことになった。そしてSさんは、それまでに得た山椒魚と哲学の関係に関する知識が、加藤かけいの人生と一致するのかが非常に気になった。「それを知りたければ、作者の伝記や作家論を読む必要がある。さらに、ある程度は俳句を鑑賞する力を身につけた方がいい」と自著で記すように、自身も俳句世界に身を投じ、短詩型の深淵を覗きこむことにもなる。
しかし、私はここでSさんが著した俳人加藤かけいの詳細を論じるつもりはない。私の興味は、Sさんが何故に加藤かけいに拘ったのかにある。Sさんはは加藤かけいを知るため、わざわざ名古屋にある加藤かけいが主宰した「環礁」に入会した。そして加藤かけいの句を理解するため、俳句を短期間で究め同人に推挙された。
これは私の予想であるが、Sさんは山椒魚の生息そのものに親近感を抱き、それが何処から来るものかを知りたかったのではないか。偶然俳壇の山椒魚加藤かけいに巡り合い、その生き方に興味を抱いた。そしてその生き方が自らの生き方にも関わる重要な問題ではなかったかと考えている。
<つづく>
Sさんは山椒魚の研究者で、且つ俳人加藤かけいの研究者でもある。順序立てて言えば、先ず山椒魚に興味を持ち、そのことを調べているうちに加藤かけいに巡り合い、加藤かけいを知るため俳句を習得した。冒頭で紹介した二冊の著書のうち『山椒魚の故郷』はSさんの故郷近くに住む俳人と山椒魚を仲介にした交流を描いたもので、第四回岡山・吉備の国文学賞を受けている。もう一冊の分厚い方の著書『山椒魚の謎』は加藤かけいの研究書である。かなりの力作で、おそらく加藤かけい研究に関しては俳壇でもSさんの右に出る者はいないと思う。私は今回、この二冊を読み返してみて、Sさんの著作者としての力量を再認識した。
Sさんが山椒魚文学を研究するようになったのは、学生時代に愛読した井伏鱒二の『山椒魚』や、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』、およびオクタビオ・パスの詩『サラマンドラ』などの書物を通し、山椒魚が哲学的な存在であることを知ったことによる。私も中学生時代に『白鯨』を読み感動で夜寝れなかったことを覚えているが、山椒魚と哲学の話は記憶にない。Sさんは山椒魚と哲学の関係を知るため『白鯨』を原書でも読んでいる。因みにSさんは外語大出身である。
ハーマン・メルヴィル『白鯨 上』(岩波書店)
作品の中に出てくるSalamanderを訳者は、なべて
「大火炎獣のごとき怪魔」(阿部知二訳)と訳した。
これは誤訳で山椒魚であろうと、Sさんは五十歳
近くになり気付き、その後の山椒魚研究の端緒と
なった。
しかしSさんは山椒魚と哲学との関係が、いまひとつ腑に落ちないため他の文学ジャンルを漁り、遂に新宿の俳句文学館にたどり着いた。そこで山椒魚に関係した二冊の句集を発掘する。その一つが、Sさんの生家近辺に住む女流俳人Hさんの句集『山椒魚』で、他は名古屋の俳人加藤かけいの句集『山椒魚百句』である。前者Hさんとの交流は、エッセイ『山椒魚の故郷』となり岡山県の文学賞につながった。Sさんはそのエッセイで少年時代に生家脇の清流で「はんざき(Sさんの故郷では山椒魚をそう呼んでいた)」を捕まえ、一家で食したエピソードを紹介している。思うに、この経験がSさんの山椒魚研究の原点ではないかと私は考えている。
さて、二冊目の『山椒魚百句』である。その百句の中の「哲学の貌またたかぬ山椒魚」という句と、句集後記に書かれていた「『山椒魚百句』は私の自画像であり、私の人生観であり、私の哲学である」という一文が、Sさんを加藤かけい研究に引きずり込むことになった。そしてSさんは、それまでに得た山椒魚と哲学の関係に関する知識が、加藤かけいの人生と一致するのかが非常に気になった。「それを知りたければ、作者の伝記や作家論を読む必要がある。さらに、ある程度は俳句を鑑賞する力を身につけた方がいい」と自著で記すように、自身も俳句世界に身を投じ、短詩型の深淵を覗きこむことにもなる。
しかし、私はここでSさんが著した俳人加藤かけいの詳細を論じるつもりはない。私の興味は、Sさんが何故に加藤かけいに拘ったのかにある。Sさんはは加藤かけいを知るため、わざわざ名古屋にある加藤かけいが主宰した「環礁」に入会した。そして加藤かけいの句を理解するため、俳句を短期間で究め同人に推挙された。
これは私の予想であるが、Sさんは山椒魚の生息そのものに親近感を抱き、それが何処から来るものかを知りたかったのではないか。偶然俳壇の山椒魚加藤かけいに巡り合い、その生き方に興味を抱いた。そしてその生き方が自らの生き方にも関わる重要な問題ではなかったかと考えている。
<つづく>

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