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zoom RSS 能登真脇のこと <その4>

<<   作成日時 : 2017/05/03 15:28   >>

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 ルイス・フロイスは1532年、ポルトガルに生まれた。16歳でイエズス会員になりインドに渡る。そこで聖パウロ学園に入園、そこにいた薩摩藩士パウロ・ヤジローの影響で日本に強い関心を持つようになった。1562(永禄5)年、念願の日本赴任を果たし九州や近畿で宣教活動を行った。65歳で没するまで日本で暮らしたが、時には通訳者として信長や秀吉にも謁見した。筆まめな性格で当時の日本の政治、経済状況や文化、社会、宗教、風俗などを丹念に本国に書き送っていた。

 フロイスが書き送ったものは、数世紀の長い間スペインのマドリー市にあるアカデミア・デ・ラ・ヒストリアの書庫に眠り続けていた。これが1946(昭和21)年に偶然発見され、日本の中世史家を驚かせた。発見資料の中では特に『日本史』と『日欧文化比較』が注目された。特に『日欧文化比較』は早期の日本語訳を待たれたが1955(昭和30)年になり、ようやく上智大学から刊行された。私の保有本は上智大学版ではなく、その後1991(平成3)年に出版された岡田章雄訳注の岩波文庫本である。

岩波文庫本は上智大学版に詳細な注解を加えたもので、日欧の文化の差異を分かり易く著わしている。フロイスの旺盛な観察欲は、「宣教師は布教に名を借りたスパイ」という説も宜なるかなと思わせるほど細部におよんでいる。訳者の岡田氏は冒頭文で、幕末や明治に来日した欧米人の間でよく使われていた言葉「topsy-turvydom」を紹介している。この言葉は日本語の「あべこべ」を意味するが、岡田氏はこの言葉で日本の文化が西洋と真逆であったことを上手に説明している。

 つまり、フロイスの『日欧文化比較』は、フロイスから見た安土・桃山時代の「あべこべ」を詳細に書き残した点で大変貴重な文献と言える。

画像
       フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』
         (岡田章雄訳注、岩波文庫)
    本書はフロイスが書き送った『日欧文化比較』のポル
    トガル語版を翻訳したもので、1955(昭和30)
    年に上智大学が発行した訳本(これはドイツ人がド
    イツ語に翻訳したものを底本としている)の訳注を
    参考として、岡田章雄氏が詳細な注記を加筆し19
    91(平成3)年に発行された。

 私の結論から言えば、この「あべこべ」は日本が島国という地政学的な特徴からもたらされたものと思っている。つまりこの結論は日本人が長年にわたりガラパゴス現象化していたという仮定に基づいている。
 ただ、日本は天災が多く、時には大陸から小規模な侵略が度々あった点で完全なガラパゴス島ではなかった。例えば最新の考古学によれば弥生時代には度々中国大陸からの移民があり、日本列島は極度の社会的緊張(戦争)下にあった。弥生土器に装飾性(遊び)がないのは、この緊張のせいだといわれている。しかし全体としては、平穏な状態が長年持続した世界的に珍しい国であったようだ。つまり日本人の根底には準ガラパゴス現象的な性向があるように思う。

 フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』の第二章に次のような記述がある。

「ヨーロッパの女性は、その袖が手首にまで達する。日本の女性は、腕の半ばまで達する。そして胸や腕を露出することを不真面目のこととは思わない」
「われわれの間では女性が素足で歩いたならば、狂人か恥知らずと考えられるであろう。日本の女性は貴賤を問わず、一年の大半、いつも素足で歩く」
「ヨーロッパの女性は宝石のついた指輪その他の装身具を付ける。日本の女性は一切指輪を付けず、また金、銀で作った装身具も用いない」

 第二章は女性を扱った章であるが、当時の日欧の女性観がよく表れている。日本女性が社会の各分野で眼立たないが確実にその存在が感じられるのに対し、西洋女性は男性の愛贋物化していたとも読み取れるほど、その存在が派手である。換言すると日本女性は地味だが男性と大差ない存在感がある。これに対して西洋女性は一見大切に扱われているように見えるが生活感がなく、実は男性社会の下で行動が著しく制約されていたとも読み取れるのである。

 残念なことに、フロイスの記した西洋の女性観は、明治時代の欧化政策で他の習俗と共に日本に移入され定着したようである。現在の日本社会に残る処女崇拝や、女性に純潔、貞節を求める習俗はどうやら明治以降のもので、フロイス時代の西洋的な女性観ではないかと思う。民俗学者宮本常一の『忘れられた日本人』を読むと、本来の日本女性は男性の愛贋物的存在ではなく、男性と並び立つ存在感をもち、時には男性を凌ぐほどの力強さを発揮する能動的な生き方をしていたことが分かる。

 『ヨーロッパ文化と日本文化』を読むと双方の文化の底流に根源的な違いがあり、これが「あべこべ」の原因になっているように思う。つまり上手く表現できないが、日本の母性文化に対して西洋の父性文化、あるいは日本の共生本能に対して排他本能、また唯心志向に対して唯物志向、あるいは遊び性向に対し実利性向などである。その日本側の底流にあるものを考えるとき、稲作が伝播した弥生時代に日本文化の始原を置く従来史観に拠っては目的を果たせない。何故なら真脇遺跡には従来史観では予想もつかなかった4千年の定住生活の跡があり、稲作については弥生を大幅に遡る縄文中期の複数遺跡に稲作の痕跡が見られる。つまり日本人の定住生活と稲作の起源は縄文中期をさらに遡る可能性があるという事実があるからだ。

 弥生時代の前に、脈々と日本人を象(かたど)った縄文時代がある。その解明なくして日本文化や日本人の解明はない。だがその世界の解明に踏み込むツールが問題なのだ。環境考古学は好いとしても、縄文人の精神面を解明するには無理がある。つまり明治以降に入った近代西洋学問(柳田国男はこれを借り物の学問と言った)では無理ではないかと思う。フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』を読むと直感的にそう思う。底流に流れているものが異なるからだ。つまり日本と西洋では思考回路が違うように思う。例えればアナログ世界とデジタル世界の制御方式(理論)が異なるようなものである。

 柳田国男はそのことに、いち早く気付いた人ではなかったかと思う。そしてそれに共鳴したのが折口信夫である。私はいま、縄文時代の精神的な内面に立ち入るタイムマシンとして、折口学が最適ではないかと考えている。折口学は別名「発生学」とも呼ばれている。次回はそのことについて少し話をしてみたい。

<つづく>

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