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zoom RSS 能登真脇のこと <その5>

<<   作成日時 : 2017/07/04 01:07   >>

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 前章までに述べたことを要約すると、最新の考古学によれば従来の縄文時代観は誤謬に満ちたもので実は世界に誇れる先進性を有していたこと。能登真脇に4千年住み続けた縄文人の心に思いを馳せたいがその術がないこと。つまり現代学問には文献のない時代や精神面を解明するに有効な手立てがないこと。さらに明治以前の日本と欧米の文化は真逆であったこと、このため縄文時代の解明には明治時代に入った洋学より国学や民俗学が有効ではないか、つまり折口学に期待がもてそうであるなどを述べて来た。

 私の縄文時代への興味は、古代日本人が持っていた精神面を知ることにある。さらに付け加えるなら、それを知ることで縄文人の豊かな感性に触れてみたいという希望もある。そうしたことを考えていた時に折口信夫を知った。折口には『古代研究』という膨大な著作がある。私は残念ながらその全容を未だに把握しきれていない。しかし読み進めると私の期待するものと折口の著作動機は非常に近いものがあることが分かって来た。例えば以下の折口の言葉である。

 日本の古代生活は、此まであまりに放漫な研究態度でとり扱はれて来た。江戸時代に、あれまで力強く働いた国学の伝統は、明治に入つて飛躍力を失うた。為に、外側からの研究のみ盛んに行はれた。古代人の内部の生活力を身に動悸うたせて、再現に努めようとする人はなくなつた。数種の文献に遺つた単語は、世界の古国や、辺陬の民族の語彙と、無機的に比較研究せられた。此は伝統的事業を固定させてゐた私どものしくじりであつた。(『折口信夫全集2』「古代生活の研究」「常世の国」「ふる年の夢・新年の夢」中央公論社、1995年3月10日)

 しかし私は本論で真脇縄文人の精神文化を折口学で明らかにするという途方もないことは考えていない。古代人の精神文化を探る上での現代学問の間隙と、それをカバーする折口学の可能性について少し触れたいと思っている。そのことで現代学問が人間の心という最も大事なことにどれほど冷淡であるか、つまり唯物論偏重の学問であるかを感じ取って頂ければと思っている。折口の書を読み進めると古代日本人の思考が右脳中心であったことに気付かされる。柳田国男はそれを見越した上で日本人のための学問として日本民俗学を起こしたのではないかとさえ思われてくるのである。

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         折口信夫(明治20年〜昭和28年)
      民俗学者、国文学者、歌人(号:釈迢空)。
      折口学が山本健吉(慶応時代の教授と学生の関
      係)を通して与えた俳句への影響も気になる。

 折口信夫の書を読み進めると折口の思考法の特徴が見えてくる。大きく分けて三つの特徴がある。一つは発生志向であること。二つ目が演繹的であること、三つめは折口自らが命名した「類化性能」に沿った思考方法であることである。巷間では折口学を別名発生学とも呼ぶように折口の研究はテーマの発生や起源に向かう傾向がある。このことは折口の著作が国文学や芸能の発生に関するものが多い点でも明らかである。因みに折口によれば発生と起源は異なり、起源は過去の一時点を定めるものであるが、発生はその過程を明らかにしそのことにより連綿と続く発生を示唆、すなわち現在も発生の可能性をもつ過程を明らかにすることを意味すると述べている。

 次に演繹的な思考であるが、思い起こすのは柳田国男との神に関する解釈の相違である。つまり柳田の祖霊信仰に対して折口のまれびと信仰である。この件では柳田がかなりの拒否反応を示した有名なエピソードがある。当時柳田が編集発行していた『民族』の編集部に折口から『常世及びまれびと』の投稿原稿が送られてきた。これを読んだ柳田が「こんなものは載せられない」と掲載を拒否した話である。柳田は徹底した帰納法の実践者であった。二人の研究姿勢からくる齟齬は終生折口を苦しめた。しかし折口は常に柳田に対して師の礼を取り続けたため表立った対立にはならなかった。

 柳田は伝習や民話を丹念に調査した結果古代の祖霊信仰が日本人の神の原型を成したという説を提唱している。これに対し折口は常世から訪れる「まれびと」説を唱え自らの古代研究の中心においた。共に古代日本人の信仰を研究する上での対立であるが、これは前述したように研究姿勢の相違からくる対立ではないかと思われる。私見を述べるなら折口の視点がより広くより高かったように思う。折口は祖霊信仰も神の一つの形であり、異界からの来訪者である「まれびと」もその一つと考えていた。大事なことは両者が古代日本人の精神性を探る上で、神の発生過程を最重要視していた事実であろう。

 折口の「まれびと」は一見直感とも見えるが、実は多くの文献を調査した上である仮定を置きその検証を実際の民間伝承の行事(祭りや芸能)を通して丹念かつ慎重に確認するという方法を取っていた。折口は後にこの説を発展させ「翁の発生」を発表する。つまり「まれびと」信仰の一つの形態が現在能で演じられている「翁」に残っているという考えである。この折口の演繹的アプローチが誤りでないことを印象付ける大発見が折口の没後にあり世の研究者を驚かせることになる。

 「まれびと」「翁の発生」はこの後に唱えた「貴種流離譚」と共に折口学の中核をなす考えとなる。特に「翁の発生」で発表した一連の考えは、昭和39年に能の金春家から発見された秘伝書、金春禅竹の『明宿集』の内容と一致することが分かった。金春禅竹没後500年、折口信夫没後10年目の出来事であった。それは折口の思考法が妥当であったことを裏付ける発見でもあった。この「翁の発生」に関する一連の研究は、民俗学に「芸能史」という一分野を加えることになった。柳田も当初これを渋っていたが結局は認めこの分野を折口に任せた。

 三つ目の類化性能であるが、折口は思考(発想)法を二つに分類し以下のように命名した。そして自らの古代研究に当たっては類化性能を採用した。
・類化性能→同じものを見つける。古代日本人の思考に近い方法。 
・別化性能→違うものを見つける。近代学問の基本となる思考方法。   
 折口は学者であり詩人(歌人)でもあった。この詩人の資質は古代人の思考法を解くに有効であったと思われる。この思考方法で日本列島四島に加え、沖縄、台湾の伝承行事や習俗を見て歩いた。特に戦前における「常世」と「まれびと」の類化性能調査に当たっては沖縄と台湾に残る習俗や芸能調査に頻繁に現地訪問をしている。

<つづく>

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