テーマ:飴山実

飴山実のこと その6<完結>

 それでは鶴見の『限界芸術』とはどういうものか。少々長くなるがポイントを箇条書にすると次のようになる。  ①一般に日本語の「芸術」とは、有名劇場で有名指揮者の下に有名楽団によって演奏されるベートヴェンの作品というようにとらえられている。つまり、西洋文明の歴史の上で権威づけられた作品の系列(権威の問題)を、先進国の名人によって複製し…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

飴山実のこと その5

 以下俳壇と俳句のことを書くつもりでいるが、筆が進まない。進まない理由は明らかである。俳壇の実態がよく分らないのだ。俳壇が一枚岩でないことも理由の一つかと思う。先日ネットで調べてみたら俳句に関する大きな団体が、なんと六つもあった。「現代俳句協会」「俳人協会」「日本伝統俳句協会」「国際俳句交流協会」「世界俳句協会」「日本学生俳句協会」であ…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

飴山実のこと その4

 以上が飴山の語ったあらかたの論旨である。良い悪いは別にして論理は明快である。つまり秋桜子以降を「ヘボ筋」、虚子俳句(ホトトギス俳句)を「本筋」としているのである。このような論が飴山によって展開されたとあっては、もとよりホトトギス俳句の宇佐美には異論はない。また川崎にしても同様であろう。何故なら川崎はこの年(昭和五十五年)は長年所属した…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

飴山実のこと その3

 十月十七日、久し振りに新宿百人町の俳句文学館を訪れた。雑誌『俳句』昭和五十五年一月号は直ぐに見つかった。問題の鼎談記事は頁数にして十三枚、帰宅の電車内で一気に読んでしまった。私は密かに飴山實と川崎展宏の論争を期待していたが、その期待は見事に外れた。何のことはない鼎談は一方的に飴山が喋りまくっていた。川崎は飴山の合の手を努めるのが精一杯…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

飴山実のこと その2

 私の手元に『稲』という表題がついた古めかしい小冊子がある。この三十頁に満たない冊子は行きつけの居酒屋の飲み友達に貰ったものだ。友達とはいえ私とは一回り以上も歳上の熟年者である。共通の話題は俳句で、老友は青年期に沢木欣一の『風』に投句したことを誇りにしている。  以下は余談である。私が俳句を始めた頃、俳句雑誌で沢木欣一の特集があっ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

飴山実のこと その1

 最近、ふとしたことから飴山実の俳句観を知り、その内容に驚くと共に飴山実について、さらなる掘り下げをして見たいと思っている。驚いた理由は、私が十八年掛かって辿りついた、言わば我が俳句境地と似ていたからである。  私は俳句を始めて今年(平成二十七年)で十八年目になる。最初はパソコンの俳句サイトを介して自己流俳句の投句を楽しんでいた。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more