テーマ:たたら

たたら その7 <木次町>

 さて、大きく脇道に逸れてしまったが、ここで話を吉田町に戻したい。初めての菅谷山内訪問は、残念ながら到着に時間を要し日没間際となり、翌朝に再度出直すことになった。宿が心配であったが、三刀屋・木次と探し回り、なんとか素泊まりではあるが木次駅の駅前通りにある松江旅館を確保できたことは前述したとおりである。木次は「きつき」と呼び雲南市の中心地…
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たたら その5 <道具に見る韓国と日本>

 ここまで書いてきたが、たぶん読者は「たかが鉄じゃないか」と思われているに違いない。実は私も最初はそうだった。ところが鉄が次第に分かりはじめると、一挙に鉄のことが知りたくなる。鉄と言っても鉄の成分や硬度の事ではない。鉄が人間社会、特に日本・および日本人に与えた影響について知りたくなってくる。例えば隣国韓国と日本の違いや、日本と西洋の違い…
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たたら その4 <施設長朝日さん>

 車を降りて責任者と思しき中年男性に挨拶をした。戴いた名刺には「菅谷高殿・山内生活伝承館 施設長」とあった。施設長(以降、朝日さん)は、四十代後半と思えるほど若く見えたが実際は自分と同年代であった。これは後日知ったことであるが、朝日さんは、この山内で生まれ、成年し近くの企業に就職した。定年まで勤め上げ、その後ボランテアとしてこの仕事に就…
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たたら その3 <菅谷山内>

 菅谷山内に到着すると先客がいた。青テントに覆われた高殿の横に桂の大樹があり、その下の小さな空き地にマイクロバスが一台駐車していた。すでに見学が終わったと見えて、年配の男性集団が三々五々マイクロバスに乗り込んでいた。その集団の責任者とおぼしき年配者と、先程電話に出た菅谷たたらの関係者と思しき四十代後半の男性が挨拶を交わしていた。マイクロ…
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たたら その2 <吉田町菅谷>

 『砂鉄のみち』の冒頭は、司馬独特の文体で次の文章で始まる。  あたり前のことだが、私は民族と言う、意味ありげな呼称で呼ばれる  人間の集団に、少しも神秘性を感じない。  ただ、多少の奇妙さを感じる。  この冒頭の文は、当初軽く読み飛ばしていた。しかし読み返しているうちに、このさりげない文章が、実は司馬の生き方を示唆する…
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たたら その1 <粕淵から吉田町へ>

 菅谷のタタラを見たいと思ってから、かれこれ30年以上になる。  車は島根県の県道40号線の山塊を縫うように走っている。行く先は島根県雲南市吉田町の菅谷タタラである。湯抱で斎藤茂吉記念館を訪ね粕淵で遅い昼食をとった後、県道40号線を北上し三瓶山の東裾をかすめるように走っている。間もなく国道54号線に突き当る筈である。食後のためか、…
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