テーマ:日本人

能登真脇のこと <その4>

 ルイス・フロイスは1532年、ポルトガルに生まれた。16歳でイエズス会員になりインドに渡る。そこで聖パウロ学園に入園、そこにいた薩摩藩士パウロ・ヤジローの影響で日本に強い関心を持つようになった。1562(永禄5)年、念願の日本赴任を果たし九州や近畿で宣教活動を行った。65歳で没するまで日本で暮らしたが、時には通訳者として信長や秀吉にも…
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上田正昭と白鵬 <その3>

 近年、相撲界では日本人の横綱が誕生しない、また日本人力士が優勝しないことを嘆く声がある。私は、この嘆きを分らないこともないが、もっと大切なことがあると思っている。それは日本の相撲道精神を外国人力士に、しっかりと学ばせ理解させることである。相撲道という革袋が破れずに泰然とあれば、その中に洋酒を入れようがウオッカを入れようが日本人の酒にな…
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上田正昭と白鵬  <その2>

 私は白鵬の涙で少々思うことがある。少し大袈裟な言い方になるが、文化とは庶民のものだと言うことである。今回の件は横綱審議委員会の言動よりも、罵声を浴びせた大阪の相撲ファンの方を私は指示する。その理由は、国技と言われている日本の相撲文化を大衆の方が遥かに知っていると思うからだ。もっとも近年の横綱審議委員会は、マスコミ関係者に牛耳られ必ずし…
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上田正昭と白鵬 <その1>

 今日から4月である、3月のニュースで気になることが二つあった。一つは3月13日に歴史学者上田正昭が亡くなった記事である。行年八十八歳であった。上田さんの著書を読み始めたのは数年前からであるが、古代特に縄文時代の魅力を教えてもらった。日本人の源流のようなものが知りたくて古代史に関係する本を読んでいる時に上田さんを知った。 日本人の源流と…
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たたら その3 <菅谷山内>

 菅谷山内に到着すると先客がいた。青テントに覆われた高殿の横に桂の大樹があり、その下の小さな空き地にマイクロバスが一台駐車していた。すでに見学が終わったと見えて、年配の男性集団が三々五々マイクロバスに乗り込んでいた。その集団の責任者とおぼしき年配者と、先程電話に出た菅谷たたらの関係者と思しき四十代後半の男性が挨拶を交わしていた。マイクロ…
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たたら その2 <吉田町菅谷>

 『砂鉄のみち』の冒頭は、司馬独特の文体で次の文章で始まる。  あたり前のことだが、私は民族と言う、意味ありげな呼称で呼ばれる  人間の集団に、少しも神秘性を感じない。  ただ、多少の奇妙さを感じる。  この冒頭の文は、当初軽く読み飛ばしていた。しかし読み返しているうちに、このさりげない文章が、実は司馬の生き方を示唆する…
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ガラガラ・ポン

 かねがね我が国の風景は乱雑で殺風景でどうしようもない、ひどいものだと思っていた。たまに海外に出て帰国し、成田空港近辺で出会う乱雑な窓外風景には、いつも落胆してしまう。特にヨーロッパからの帰国の際、その度合いが大きい。  乱雑と思う光景には二種類あり、自然の風景と街の景観の双方に感じる。先ず目に入る鬱蒼と生い茂る雑草と樹木は、湿度の高…
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円の発想 <その13(完結編)>

 前章では日本人の「ホームポジション」が希薄になりつつあることを述べた。それは取りも直さず「日本人」の心の喪失を意味していると思う。これから書きたいことは俳諧・俳句の心は、日本人の心を取り戻すことに直結しているということなのであるが、たぶん話は相当に飛躍すると思っている。  唐突な話になるが、三十代の頃にSF小説を読み耽ったことが…
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円の発想 <その12>

 前述した森竹さんの記事は、大略以下のように纏められます。  A 生徒のほぼ全員が縄文時代、つまり貧富のない平等な世界を     望んでいる。  B しかし先生は現実社会は、そうでないことを認識させ、その    ような社会を、どう生るかを考えながら自立の精神を身につ    けるよう指導したい。  Aは、小学生低学年だからとい…
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円の発想 <その11>

 私は俳諧・俳句に決して難しい理屈付けをしようとは思わない。しかし俳諧・俳句を知ろうとすると、そう単純な詩形ではないことに気付いてくる。これは俳句を詠まれた方なら何方でも感じることであろう。以前、現代詩をやられた方が句会に出席し、自作への批評に戸惑っている姿を拝見したことがある。そのとき私は気の毒に思い、自分の経験を踏まえた上で率直に「…
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円の発想 <その10>

 私はハルオ・シラネ氏が俳諧の秘めた能力として「古典のテクストと約束事をパロディー化する」点に気がついた眼力は凄いと思う。めったに人を褒めない尾形仂が、ハルオ・シラネ氏を認めたのは氏のこの慧眼を認めたからかもしれない。ハルオ・シラネ氏はさらに。俳諧は古典のもつテクストと約束事の双方に時代が求める「あらたな意味と視点を作り出すため、既存の…
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円の発想 <その9>

 前章で日本人は、人種的に二重構造化され「円の発想」と「区分の発想」の双方を兼ね備るハイブリッドな精神構造を持つことを述べた。ただ日本人の心性として基層を占めるのは、紛れもなく「円の発想」であろう。そしてこの「円の発想」こそ、俳諧・俳句の基底を貫くものであると思っている。私がそのような思いを強くしたのは、哲学者梅原猛氏と歴史学者武光氏の…
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円の発想 <その8>

 民族に伝わる昔話や伝説は、その民族の文化に直結している場合が多い。かつて西洋ではドイツの詩人ハイネが、キリスト教の巧みな布教活動により排撃され絶滅してゆくヨーロッパ及び母国の古い神(つまり個別民族の文化)に心を痛め、伝承や伝説・昔話の保存に力を注いだ話は有名である。  わが国でも明治以降急激に進んだ近代化・国際化の陰で、年々希薄…
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円の発想 <その7>

 私が参加している俳句関係の集団「芭蕉会議」(代表、谷地快一氏)では、例年総会を兼ねた講演会を年末に開催している。その中に印象的な講演が二つあった。一つは島内景二氏の「近世の源氏文化と詩歌」で、他は歌人穂村弘氏の「短歌の楽しみ」である。  前者は『源氏物語』が「文化統合システム」として、江戸後期に重要な役割を果たしたという話で、『…
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円の発想 <その6> 

 前章では、七〇年代に米国で起きた「カウンター・カルチャー」について述べた。このムーブメントは、ベトナム戦争の終局と共に下火になるが、五〇年代から約三十年間続き、米国の若者の間で東洋文化が真剣に研究された時期でもあった。このムーブメントで起こったハイク・ブームのハイクは、俳句を文学としてではなく、ハルオ・シラネ氏も言っているように明らか…
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円の発想 <その5>

 前章では我々にとりアニミズムが古くて新しい問題であることを述べた。その理由として人間の精神的な問題を取上げ、その典型的な例、死生観を上げた。つまり縄文人は、生-死-カミという輪廻再生を信じ、カミに召されるという安寧の臨終観を持っていた。これに対して現代人の死生観は、何か刹那的で他人事のように見える。その原因の一つに自然科学の発達がもた…
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円の発想 <その4>

 「文学は何よりも先ずアミューザンなものでなければならない」  少し寄り道をしてしまったが、柳田国男の「アミューザン」に話を戻したい。上記文章は、柳田の文学観を表すものとして重要である。さらに私は、この言葉に柳田の文学観を超えて、かつて日本人が有していた文学観そのものを感じている。周知のように柳田は日本人というものを、生涯かけて探…
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円の発想 <その3>

 日本人がもつ二つの人種の特徴とは何であろうか。私は端的に次のように思っている。先ず縄文的とは「平等」の思想であり相互互助の精神で、弥生的ということは「不平等」であり区別の精神である。良い意味で前者は心の安寧を、後者は進歩を日本人にもたらしてきたのではないかと思う。両者の特徴は夫々における長年の生活環境に起因していると思われる。縄文人の…
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円の発想 <その2>

 数年前から、ふとしたことで古代出雲に興味を持つようになった。最初は古代製鉄施設「たたら」への関心から奥出雲に関する著書を読む程度であった。ところが数年前その過程で出雲の荒神谷・加茂岩倉遺跡の考古学的大発見を知り、興味の範囲が古代出雲全般、さらには古代日本そのものへと広がってしまった。また俳句をかじっていた関係で積年日本人の源流というも…
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円の発想 <その1>

 俳句を始めて、かれこれ十七年になる。最初は俳句を作ることに夢中であったが、そのうち主宰の選が気になりだした。つまり主宰が、どのような基準で俳句作品を評価しているのだろうかということである。実は、それまでに一生懸命推敲し自信をもって臨んだ句が主宰に採られないケースが続き、むしろ数合わせに出した句、ある意味でどうでもよい句が案外採られると…
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