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拙守庵閑話

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拙守庵閑話
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兄の三味線友達にTさんがいる。Tさんは佐渡生まれである。兄は常々Tさんを「平らな人」と評している。「平らな人」の意味がよく分からず単に温厚な人と理解していた。13日、思い立って佐渡に行き、二日掛け島を車で一周した。目的は特になく、途中コジャレたカフェかレストランに寄りながらのんびりドライブを楽しめればとの思いであった。ところがそれが一軒もない、どころかコンビニもない。しかし突然立派な寺院や能舞台を持った神社が現れる。また地の人の話には気取りや衒いが全くない。まるで昭和40年代にタイムスリップしたようである。帰宅してTさんのことを思い出し「平らな人」の「平ら」が分かったように思う。Tさんのあの哀調ある相川音頭をもう一度聞きたくなった。
9月17日(日)、丁未:ひのとひつじ、旧7月27日>

       放蕩児真葛原越へ来たりけり    無迅

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タイトル 日 時
能登真脇のこと <その7>
能登真脇のこと <その7>  折口学を頼りに本論をスタートさせたが『古代研究』を読み進めると民俗学の実証法が学問的に納得いくものなのか多少不安になってきた。これは私が今まで民俗学に抱き続けて来た不安でもある。幸いなことにこの不安を解消させてくれそうな良書を最近入手した。このため『古代研究』をいったん横に置き、鳥越氏の『柳田民俗学のフィロソフィー』を読み進めている。その上で本論を進めた方が、ここまで読まれた方への礼儀にも叶うことと思うからだ。 ...続きを見る

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2017/08/27 18:32
能登真脇のこと <その6>
能登真脇のこと <その6>  ここまで書いて来て思い出すことがある。歌人斎藤茂吉が柿本人麿の終焉の地を数年かけて探索した話である。その際茂吉が頼ったものは和歌三首であった。人麿が臨終の時に詠んだ一首とその妻が夫の死に接し詠んだ二首である。茂吉はこの歌の解釈を元に遂に湯抱(ゆがかい)の鴨山にたどり着いた。導いたのは歌人としての勘である。同じ歌人として時空を超え人麿夫妻と歌の世界を共有したのだ。茂吉はこの結果を昭和9年に『鴨山考』として発表した。戦前この書は多くの人に感動をもって読まれた。 ...続きを見る

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2017/08/01 21:04
能登真脇のこと <その5>
能登真脇のこと <その5>  前章までに述べたことを要約すると、最新の考古学によれば従来の縄文時代観は誤謬に満ちたもので実は世界に誇れる先進性を有していたこと。能登真脇に4千年住み続けた縄文人の心に思いを馳せたいがその術がないこと。つまり現代学問には文献のない時代や精神面を解明するに有効な手立てがないこと。さらに明治以前の日本と欧米の文化は真逆であったこと、このため縄文時代の解明には明治時代に入った洋学より国学や民俗学が有効ではないか、つまり折口学に期待がもてそうであるなどを述べて来た。 ...続きを見る

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2017/07/04 01:07
能登真脇のこと <その4>
能登真脇のこと <その4>  ルイス・フロイスは1532年、ポルトガルに生まれた。16歳でイエズス会員になりインドに渡る。そこで聖パウロ学園に入園、そこにいた薩摩藩士パウロ・ヤジローの影響で日本に強い関心を持つようになった。1562(永禄5)年、念願の日本赴任を果たし九州や近畿で宣教師活動を行った。65歳で没するまで日本で暮らしたが、時には通訳者として信長や秀吉にも謁見した。筆まめな性格で当時の日本の政治、経済状況や文化、社会、宗教、風俗などを丹念に本国に書き送っていた。 ...続きを見る

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2017/05/03 15:28
能登真脇のこと <その3>
能登真脇のこと <その3>  真脇縄文人の文化的な特徴はいくつかある。先ず他の遺跡ではあまり見られない床に板を引く生活風習である。住居だけでなく板が引かれたお墓も見つかった。また集落の中央には直径1メートルもある栗の巨木を半分に割った木柱をサークル状に回したストーンサークルならぬ栗の木サークルがあったようだ。しかもその場所は、ほぼ固定されていて何代にもわたって立て替えられた形跡がある。さらに木材の加工技術に長けていたようで、巨木を半分に割る技術や住居用木材として穴を穿ち木材を組み合わせる工法も有していた。 ...続きを見る

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2017/03/23 12:35
能登真脇のこと <その2>
能登真脇のこと <その2>  真脇遺跡の発見は比較的新しく、昭和57年に行われた農村基盤整備に伴う事前調査によって発見された。調査を進めるうちに折り重なる地層から、まず縄文後期の地層が、さらに掘り進めると中期、前期の地層が、その時代の出土品と共に現れた。縄文時代の全期に渡る出土品が同じ場所から多量に出たことで大きな話題を呼んだ。しかもその発掘状況から長期定住型集落の跡と判り、平成元年に国指定史跡になった。また平成3年には、200点を超える出土品が国の重要文化財に指定された。 ...続きを見る

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2017/03/13 22:09
能登真脇のこと <その1>
能登真脇のこと <その1>  昨年(平成28年)10月、思い立って能登半島を3泊4日で一周した。能登で見ておきたいところが幾つかあり、その一つに真脇縄文遺跡があった。珠洲市で道に迷い、本来なら富山湾側から真脇に入る予定が、反対の山側から真脇遺跡公園に入ることになってしまった。ナビに従って暫く山中を走ると急に視界が開け、いきなり真脇湾が眼下に現れた。時計は10月20日、午後1時を指していた。 ...続きを見る

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2017/03/01 21:41
Sさんのこと <その12、完結>
Sさんのこと <その12、完結>  <山椒魚蛇足4>  井伏鱒二が自著『山椒魚』を、どのように見ていたかについては諸説がある。ある現役の作家は盗作だと断言して憚らない。私はそのあたりはよく分からない。ただ井伏が最終章の会話部分を何故削除したのかはとても気になる。気になることのもう一つは、その削除が最晩年であったことだ。実はそのことを数日考えたことがある。その結果、私がたどり着いた結論は極めて俳句的であった。先ず文章全体の印象はかなり哲学的、あるいは寓意的な内容にも拘らず削除部分は如何にも恣意的という感じがすることである。 ... ...続きを見る

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2017/01/05 13:29
Sさんのこと <その11>
Sさんのこと <その11>  <山椒魚蛇足1>  西洋では山椒魚をサラマンダー (salamander)と呼び、何故か火の中に棲む神秘的な魚として特別な扱いを受けている。私が調べた範囲では、その理由は二つあるようだ。一つは中世に欧州で流行った錬金術と関係する。つまり山椒魚を焼いて作った粉末が錬金術の重要な成分として重宝されていた。錬金術は近代科学が発達する以前に盛んに行われたもので、結果的には金を生成することはできなかった。しかしその精神は近代科学精神を生んだと言われている。当時は現代でいう科学的合理精神が未確立であり、... ...続きを見る

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2016/12/24 01:33
奈津美のインドネシア便り<その2>
奈津美のインドネシア便り<その2> 「芭蕉会議」の会員、荒井奈津美さんからインドネシア便りの第二便が届きましたので以下に紹介します。 なお、「芭蕉会議」の掲示板には写真のない同文が掲載されています。 (掲示板に写真が掲載できないので、写真付きのものを以下に掲載します) ...続きを見る

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2016/12/13 19:51
Sさんのこと <その10>
Sさんのこと <その10>  Sさんのかけいを見る目は確かだった。かけいの山椒魚は、当初大(おお)山椒魚であった。しかし、ある時から体長僅か7,8センチのヒダサンショウオに変わったのだ。この変化こそ、無文の「愚守」であるとSさんは見ている。かけいは「愚守」によって積年の挫折感から解放されたが、その後の生き方は私の予想をはるかに超えていた。つまり、かけいが目指したのは「天狼」が挑戦し、刀折れ矢尽きた根源俳句を再び究めることだった。「愚守」は俳壇の桎梏からかけいを解放し平穏な余生を送ることではなく、俳壇と決別し一人浄界に上り己... ...続きを見る

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2016/12/06 13:42
Sさんのこと <その9>
Sさんのこと <その9>  山椒魚はどこか哲学的である。ただし、この場合の山椒魚は大山椒魚(おおさんしょうお)に限られる。実は日本の山椒魚は16種類と種類が多い。小さなものは5センチ前後から大山椒魚のような1メートルを超えるものもおり、中には木に上るものまでいる。その中でも大山椒魚は別格で、その巨体には威厳さえ感じられる。日本では愛知県以西の山間部清流にのみ生息し、国の特別天然記念物に指定されている。私は三十数年前、三重県名張市の通称「赤目四十八滝」と呼ばれる渓谷で大山椒魚を見たことがある。薄暗い岩の淀みに微動だにせず逼... ...続きを見る

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2016/11/16 14:11
藤袴の花
藤袴の花 藤袴<ふじばかま> 撮影地:赤城山自然園   撮影日:2014年9月30日 ...続きを見る

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2016/11/02 12:27
Sさんのこと <その8>
Sさんのこと <その8>  昭和二十年代後半から三十年代は俳壇史を語る上で重要な時期である。Sさんの凄いところは、この時期の俳壇の動きを正確に分析し、かけいの心理を推量していることである。私見ではあるが、この時期の特徴を一言で言えば、商業ジャーナリズムが新興俳句系の若手俳人を相手に、新しい風(根源俳句や社会性俳句運動、前衛俳句論争)を吹かせたことにある。その結果俳壇に世代交代の兆しが現れる。ただ旧世代(草田男、波郷等)の俳人達は、この流れに拒否反応を示し現代俳句協会を脱退し新たに俳人協会を設立する。さらに、それまで疎外さ... ...続きを見る

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2016/10/06 15:32
Sさんのこと <その7>
Sさんのこと <その7>  かけいの「言挙げ」は、まず秋櫻子の「馬酔木」を離れ、山口誓子の「天狼」に拠ることから始まった。「天狼」の創設は昭和二十三年一月であるが、Sさんによれば、その準備は一年前から周到に進められたようである。誓子の当時の師は秋櫻子である。秋櫻子は俳壇幹部として当時戦争責任を一部の若手俳人から追及されていた。特に『第二芸術』論争に加わった若手の追求は厳しく、秋櫻子自身相当に弱気になっていた。言葉は悪いが、誓子の「天狼」創刊に関する相談はそこにつけ込んだ形となった。 ...続きを見る

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2016/09/24 17:25
Sさんのこと <その6>
Sさんのこと <その6>  俳人加藤かけいが俳壇の山椒魚にたどり着くには、もう少し話を続けねばならない。秋櫻子の下に移ったかけいは、間もなく「馬酔木」同人になり前途に漸く光が射すかに見えた。しかし人生はそう甘くはなかった。待ち受けていたものは戦争という最大級の歴史の波であった。この大きな波は人間の生き方を根本から見直すことを様々な局面で要求した。恵まれた生い立ちをし、恵まれた生活を送っていたかけいも例外ではなかった。もちろんこの大きな波は、一人かけいだけではなく俳壇、ひいては日本国そのものの在り方が明治に次いで、ふたたび... ...続きを見る

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2016/09/20 23:59
Sさんのこと <その5>
Sさんのこと <その5>  さてもう一人の俳人、加藤かけいである。加藤かけいを理解するには骨が折れる。何故かと言えば、この方は根っからの俳人だからである。この人の一番いけないところは、生涯定職をもたなかったことだと思う。少年時代に兄が俳句を詠んでいた影響で、新聞や俳句誌に興味半分で投句していた。あるとき当時俳壇で重きをなしていた大須賀乙字から、かけいの俳句素質を称える手紙をもらう。この手紙が、彼のその後の人生をすべて俳句に捧げるという運命の使者となった。この時かけい、十六歳であった。 ...続きを見る

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2016/09/05 17:13
奈津美のインドネシア便り<1>
奈津美のインドネシア便り<1> <奈津美さんの了解を得ましたので、奈津美さんのインドネシアでの活躍ぶりを写真で紹介します。> ...続きを見る

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2016/08/29 20:46
Sさんのこと <その4>
Sさんのこと <その4>  Sさんの二冊の本を読むと対照的な生き方をした二人の人間像が浮かび上がる。つまり地方で慎ましく生きた女性俳人のHさんと、中央俳壇を常に意識していた俳人加藤かけいである。この対照的な生き方をした二人は、共に句集名に「山椒魚」を入れるほど山椒魚に心を寄せていた。しかし私が見る限り、その寄せ方は「思い入れ」と呼ぶにはほど遠く自分の生き方が何となく山椒魚に似ているという半分自虐的な思いのようにも見える。  Sさんは、この二人から大きな何かを感じ取っていた。 ...続きを見る

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2016/07/29 12:45
縄文文化の独自性 ー俳句の源流ー
縄文文化の独自性 ー俳句の源流ー  過日、「芭蕉会議」白山句会で、海紅先生が俳句創作時の心構えとして芭蕉の言葉を引用された。 ...続きを見る

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2016/07/20 05:30

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