ほそみ<その7>

 前述した其角の「草の戸に我は蓼食ふ蛍哉」句が収載されている『虚栗』には、芭蕉の句「朝顔に我は飯食ふ男哉」も載っている。

       草の戸に我は蓼食ふ蛍哉      其角
       朝顔に我は飯食ふ男哉       芭蕉

 堀切実はこの句は其角句に巧みに唱和しながら暗に揶揄した句であると断定し(『芭蕉の門人』)、次のように述べている。

 其角よ、自分は草庵にあっても、世人と少しも変わらず、朝は早く起きて庭の朝顔を眺めながら飯を食うような、当たり前のくらしをしている男なのだと言い放ったのである。

 芭蕉は其角の句の「我は蓼食ふ蛍」が、謡曲『鉄輪』にある一節「我は貴船の河瀬の蛍」を踏まえたものであること承知しており、その上で、その詠歌動機の背景に「伊達風流の気取り」があることを見逃さなかったのでる。なお謡曲『鉄輪』は、和泉式部が貴船神社参拝の折に詠んだ古歌「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」(『後拾遺集』)を元にしている。同様のことは、其角の『句兄弟』で、其角自ら以下の句を取り上げ師弟の「細し」の対象の相違に言及している。

       声かれて猿の歯白し峰の月      其角
       塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店      芭蕉

 其角句は漢詩「巴峡秋深し、五夜の哀猿月に叫ぶ」(謝観「清賦」『和漢朗詠集』)に詩興を採った観念句である。これに対し芭蕉句は、日々の暮しの中に季感を見事にとらえた近・現代俳句の「写生」につながる句境である。其角の凄いところは師の、その句境に感嘆し「活語の妙」と素直に認め敬っている点である。

 私は、この二つの師弟関係を語るエピソードは非常に重要な示唆を示しているように思う。其角の志向する「細し」世界は、古歌・故事に想をとり観念の世界において高い詩境を創出するが、芭蕉は、その世界をすでに超え、日常の暮しの中に「細し」世界を求める詩境に達している。才気煥発な其角が、縦横無尽に創出する観念世界は、ある意味で和歌の題詠の世界を一歩も出ていない。敢えて言えば、若き日の後鳥羽上皇が「和歌も遊びのひとつ」と定家を一笑に付した定家の詩境と大差ないように思う。しかし、その後鳥羽上皇も殿上人としての命運が尽きると、配流の隠岐で「ひとりごころ」の哀歓を痛切に味わうこととなる。そして、その詩境に大きな変化が表れるのである。

画像
          <隠岐の後鳥羽上皇御火葬塚>
    上皇は隠岐に配流され十九年間過ごし、失意のまま六十
    歳で逝去した。加藤楸邨は芭蕉研究の途上『野さらし紀
    行』における芭蕉の孤心に突き当たり、後鳥羽上皇の「
    ひとりごころ」に辿り着く。楸邨は家計逼迫の中、昭和
    十六年三月、上皇の「ひとりごころ」を求め隠岐に向う。
    その時の一句、
      隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな   楸邨

 しかし、シティーボーイ其角は一筋縄ではいかない。師の「活語の妙」を理解しながらも点取俳諧の宗匠をひたすら目指す。それは、かつて位階昇進を念じながらも昇進を絶望せざるを得なかった歌人・定家が歩んだ歌の道と同種のものを感じるのである。謂わば俳諧の「いえのもの」化である。当時台頭しつつあった点取俳諧である。

 俳諧で身を立て生来の伊達振りを通すには、まず先立つものが必要である。このような其角の生き方は、伊達振りは別として後代の一茶を見るに当時の俳諧人の一般的な心情であったと思う。つまり業俳である。俳諧で生計を立てるには、まず点者(宗匠)としての評価に応えなければならなかった。自分の選に一喜一憂する弟子達を完全に納得・得心させる必要があった。このために最も有効であったのは、古歌・故事の知識であり、和歌において定家が行った「いえのもの」化と同様の権威付けと自身の振る舞いであった。

 では芭蕉と其角の「細し」世界を分けたものは、一体なんであったろうか。

<つづく>

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この記事へのコメント

酢豚
2013年02月26日 09:31
文章をアウトプットして何度も読ませていただいています。芭蕉と其角の句の違いなどはよくわかるのですが、やはり「ほそみ」のところでひっかかります。井本氏が「微少」と言い、堀切氏が「微妙」と言っているのは、細い太いの「細い」を意識しての言葉だと思うのですが・・・。
「ほそみ」を具体的な句につなげて理解するのは、私には無理かもしれません。つづき楽しみにしています。
げったむ
2013年02月26日 14:41
酢豚さん、コメント有難う御座いました。
芭蕉が俳句の可能性を信じ「細い」隙間を、こじ開けようとしているのは事実だったと思います。そういう意味では酢豚さんのいうように細い太いの意かも知れませんです。今、結を呻吟中です。忌憚のないご意見をよろしくお願いします。

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