たたら その4 <施設長朝日さん>

 車を降りて責任者と思しき中年男性に挨拶をした。戴いた名刺には「菅谷高殿・山内生活伝承館 施設長」とあった。施設長(以降、朝日さん)は、四十代後半と思えるほど若く見えたが実際は自分と同年代であった。これは後日知ったことであるが、朝日さんは、この山内で生まれ、成年し近くの企業に就職した。定年まで勤め上げ、その後ボランテアとしてこの仕事に就いたそうである。朝日さんの幼少時、たたらのある高殿は田部家の木炭置き場になっていたそうで、「かくれんぼ」など子供達の遊びの中心地だったと回想している。だから、その懐かしい場所が国の重要有形民俗文化財に指定されたとき、朝日さんが驚き、かつ喜んだことは想像が付く。朝日さんは定年後、迷わずこの仕事についたことであろう。

 朝日さんの名が出たので、ついでに記すと「朝日」という呼称は、たたら製鉄と若干の関係がある。朝日さんに名刺を戴いた時、「朝日」が、たたら製鉄と何がしかの関係があったことに気付いたが、その時は思い起こせなかった。帰宅後、関係する文献に当たると、石塚尊俊の『鑪と鍛冶』にそれを示すものが二カ所あった。一つは石塚が調べた明治十八年の菅谷山内の戸籍帳(全三十四戸)に「朝日」姓が一戸存在していたこと。二つ目は日本に古代から残る「朝日長者伝説」に関わる記述である。

 後者は中国地方の砂鉄製鉄業者の間に伝わる金屋子信仰に関わるもので、金屋子神が日本に製鉄法をもたらした際、朝日長者の協力があったというものである。金屋子信仰については後で触れるが、お会いした朝日さんは、『鑪と鍛冶』に記載された菅谷山内に在住した三十四戸のうちの一戸、「朝日」家の出であったわけである。まさに菅谷たたらの伝承館の施設長として、この貴重な文化財を維持・管理する上では最適の人物だったのだ。後日、私は朝日さんの顔を思い浮かべながらそう思った。

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           石塚尊俊著『鑪と鍛冶』 
          <ブログ「古本斑猫軒」より>
     石塚氏は柳田国男に会った直後、菅谷山内を訪問し
     ている。「昭和十六年の夏、(略)夏休みを利用して、
     まだその頃には実際に吹いていた出雲・伯耆の鑪
     (たたら)を廻り、村下・炭坂などに逢って、その
     体験談を聞いて歩いた」と本書「あとがき」で述べ
     ている。

 わが国の古代製鉄については未知な部分が多い。司馬遼太郎はその未知なるものを知るため『砂鉄のみち』を表し、安来市の和鋼記念館、吉田町のこの菅谷山内、古事記が記す八岐大蛇伝説の舞台となった伯耆と出雲の境にある鳥上山(船通山)、さらには作州津山近郊にある古代たたらの跡を訪ね歩いた。
 実は司馬の『砂鉄のみち』の随所で引かれている著名な本が二冊ある。一冊は前述した石塚尊俊の『鑪と鍛冶』で、他は窪田蔵郎氏の『鉄の考古学』である。

 石塚氏は残念ながら昨年(2014)4月に九十五歳で他界された。島根県出身の石塚氏は東京で学生生活を送り、そこで柳田国男と民俗学に出会う。大学卒業後郷里で教員生活を送る傍ら、郷里の民俗調査に奔走し山陰地方の民俗学研究の草分けとなった。その後も山陰地方の民族学会の会長を長年務め、山陰地方の民俗学発展に大きく貢献した。特に戦前戦後にかけて調査した奥出雲のたたら製鉄に関する調査資料は、往時のたたら製鉄を知る貴重な資料となっている。

 他方、窪田氏は日本鉄鋼連盟に長年勤務しその傍ら鉄の歴史に関する調査研究をライフワークとした。その調査範囲は日本国内に留まらず世界におよぶスケールの大きなものであった。大正十五年生まれなので、すでに九十歳に近いが現在も壮健で小田原に在住されている。

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           窪田蔵郎著『鉄の考古学』
      窪田氏の蒐集した膨大な文献は、奥出雲の鉄の
      町吉田町に寄贈されて「窪田蔵郎文庫」として
      その筋の愛好者に広く利用されている。

 挨拶の後、朝日さんは解体中の高殿に私達を招き入れ一通り説明をしてくれた。その後、時間があれば明日にでも是非見学するようにと、吉田町内にある二つの施設を教えてくれた。いずれも「鉄の町」吉田町が誇る「鉄の歴史博物館」と「鉄の未来科学館」である。時刻はすでに午後五時を回っており、山間にある山内は辺りが暗くなり始めていた。今夜の宿の手配も済んでいないという不安もあり、再度明日出直すことにして山内を後にした。
 予約なしで当日泊れる旅館やホテルは、たぶん吉田町にはない。まだ日のある内に、なるべくビジネスホテルのある市街地に出ておくことが、この数日間で学習した宿探しのコツである。

 このため吉田町を出ると近隣の掛合町へは向かわず、進路を松江市に近い北に取り、三刀屋町・木次町方面を目指した。木次(きつき)駅のJR職員にビジネスホテルを聞くと三刀屋町に一軒あることが分りそこを目指した。しかし探し当てたビジネスホテルは生憎満杯で断られてしまった。辺りが薄暗くなってきたので猶予はない、木次駅前で見かけた数件の旅館を思い出し、再び木次駅前に向かった。最初に目に入った「松江旅館」という旅館に飛び込み、今晩の宿を頼んだ。人の好さそうな主人が出てきて、奥様が風邪で伏せている事を理由に一端は断られたが、素泊まりだけでいいのでと頼み込むと、何も世話ができないことを条件に了解して呉れた。

<つづく>

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