『土佐源氏』考〈その一〉

 昨年(2014)十月、神保町で句会があり、三省堂の古書コーナーで古書を数冊買った。その中に宮本常一の『忘れられた日本人』があった。暫く書架に積んで置いたが先日取り出して読んでみた。宮本常一の本は以前に『民俗学の旅』など数冊読んでいたが、読んでみて少々驚いた。既読の『民俗学の旅』などは「地を這う民俗学者」宮本常一らしい読み応えのある作品だった。ところが今回の『忘れられた日本人』には、かなり赤裸々な所謂下ネタがかった話が幾つか収載されていたからだ。その筆頭は『土佐源氏』で、他は『女の世間』、『世間師(一)、(二)』などである。

画像
        <宮本常一『忘れられた日本人』>
     「村の寄りあい」、「名倉談義」、「女の世間」、
     「土佐源氏」、「世間師」、「文字をもつ伝承者」
     などを収載。日本人の着衣を一枚ずつ剥ぎ取って
     行くような作者の心が伝わる一冊である。
     解説は網野善彦。

 『土佐源氏』については、俳優の坂本長利が演じる同名の一人芝居がある。これも芝居通の間ではつとに有名で、昭和四十二年(1967)年の初演以来、日本各地をはじめ欧州・韓国で公演、その数は千回を超えるという。勿論、原作は宮本常一の『土佐源氏』である。
 また昭和四十年代に、本や映画で「○○残酷物語」というシリーズが流行ったことがある。そのブームを作ったのが、当時平凡社の編集者であった谷川健一である。彼の企画した『日本残酷物語』がその端緒となった。そして、その編集委員の一人に抜擢されたのが当時無名の民俗学者であった宮本である。宮本は、そのシリーズに自作品として、戦後間もない頃、土佐の山奥で聞いた乞食老人の話を選んだ。この話は一度、木下順二が主宰する雑誌『民話』に『土佐源氏』と命名し昭和三十四年に投稿したものである。宮本はこれに手を入れた上で、題名を「土佐檮原の乞食」と改題し『日本残酷物語』の第一巻に組み入れた。その結果、この宮本の作品が大きな話題を呼び『日本残酷物語』は爆発的に売れた。私もその当時、映画を観た記憶がある。しかし残念ながら当時は、残酷さを売り物にしたつまらない映画という印象であった。

 『日本残酷物語』のヒットは、無名の民俗学者宮本常一を一躍有名人にした。ある日、宮本は自分を抜擢した谷川健一と街でばったり会ったとき「私はあなたに発見された」といきなり谷川に話したという。この後日談が示す通り谷川は宮本を発見したが、以降自らも民俗学にのめり込んで行くことになる。ともあれ、この事がなかったなら日本人の宝とも言われる宮本の膨大な民俗学の研究成果が、あるいは埋もれたままになったかもしれない。その意味で『土佐源氏』は、日本人にとっても貴重な作品であったと言える。

 ここで『土佐源氏』を未読の方に粗筋を述べると次のようになる。
 ・高知県梼原(ゆすはら)町茶や谷という山深い里の橋の下に住む
  八十歳を過ぎた全盲の男性乞食が、宮本に語った半生記を纏め
  たものである。
 ・夜這の子として生まれ、年少から馬喰として生きて来たが、村落
  共同体からは外され、一生を通して差別された存在であった。
 ・このため、享楽的な生活に走り、妻帯するが親方の影響を強く受
  け、放浪と女性関係(多くは後家)に明け暮れる。
 ・その報いを受け全盲となるが、最後は女房のもとに戻り人の施し
  を受けながら橋の下の乞食小屋で生きている。
 ・しかし、どの女性とも優しさと真心をもって接したので皆良い関係
  にあった。今は後悔などなく良い思い出となっている。

 粗筋は上の通りであるが、その文章表現は『源氏物語』で紫式部が避けた赤裸々な性的表現で全編が覆われている。


画像
          <一人芝居『土佐源氏』>
     演じている坂本氏もすでに八〇歳を超えているが、
     まだ健在で公演活動を続けている。今年は二月八
     日に福井県で公演をしている。意外に女性リピー
     ターが多いという。(写真は響和堂のブログから)


 読後の衝撃で『土佐源氏』に関する評論・感想を、書籍やネットで読んでみた。その結果、『土佐源氏』にまつわる話として次のようなことを知った。

 ・『土佐源氏』に興味をもった佐野眞一氏など数人が、高知県檮原で
  実施した当時の関係者や子孫へのヒアリングから、事実との差異
  があること、つまりある程度の宮本の創作があったこと。
 ・妻を置き去りに放浪する土佐源氏(乞食)の姿は、全国を踏査する
  宮本自身に重なること。さらに宮本には特定の同行アシスタント女
  性がいたことなどから様々な憶測を生んでいること。 
 ・『日本残酷物語』の『土佐源氏』版以外にポルノグラフェー版が
  存在し、この版も宮本の手で生み出された可能性が高いこと。
 ・一年を全国の旅で過ごす宮本に生計の手段は限られ、生計のため
  「物書き」に相当のエネルギーを費やしていたこと。

 宮本の民俗学的業績の真価は、この全国踏査における地道で膨大な聞きとり調査にある。その際、話者の多少の誇張や憶測、また正確性を欠いた記憶が語られるのは致し方ないところである。しかし、そこに聞き手である宮本の創作が入れば、宮本が行った現地踏査の価値は消滅ないしは半減し、その時点で宮本の研究者としての生命は半ば尽きる。それだけに一般誌とは言えども、出版社の企画に乗り自らが手を加え創作した『土佐源氏』を掲載することは、彼が研究者として費やした膨大な努力を一瞬にして失う危険性が多分に孕んでいた筈である。

 ところが、この投稿は結果的に宮本の名を全国的に高めたばかりでなく、それまで停滞気味であった民俗学そのものにも活気を与え、民俗学会での宮本の地位を不動のものにしてしまったのである。同時に宮本常一は、司馬遼太郎、谷川健一、佐野眞一、網野善彦、安丸良夫、鹿野政直、鶴見俊輔、鶴見良行、水上勉、加藤秀俊、高田宏、赤坂憲雄などの当時日本を代表する知識人・文化人から強い支持を得るようになった。宮本の何が彼らの心を捉えたのであろうか。
 さらに調べると、もう一つ興味ある事実が明らかになってきた。日本の民俗学の創始者柳田国男との民俗学をめぐる路線の乖離である。私はかつて柳田の『明治大正史‐世相篇』を読み、柳田の「学問借り物」説、つまり明治以降日本に入った洋学は借り物の学問であるという説を知り、驚愕し納得し柳田を勇気ある人だと思った。ところが宮本は、どうやらその柳田を超えるスケールを持った人物ではなかったかと思い始めている。 

 今回『忘れられた日本人』を読んで、深く考えさせられることが幾つかあった。思いをめぐらした末に、「日本的学問と西洋的学問の違い」のようなものに辿り着いてしまった。
〈つづく〉

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック