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zoom RSS Sさんのこと <その11>

<<   作成日時 : 2016/12/24 01:33   >>

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 <山椒魚蛇足1>
 西洋では山椒魚をサラマンダー (salamander)と呼び、何故か火の中に棲む神秘的な魚として特別な扱いを受けている。私が調べた範囲では、その理由は二つあるようだ。一つは中世に欧州で流行った錬金術と関係する。つまり山椒魚を焼いて作った粉末が錬金術の重要な成分として重宝されていた。錬金術は近代科学が発達する以前に盛んに行われたもので、結果的には金を生成することはできなかった。しかしその精神は近代科学精神を生んだと言われている。当時は現代でいう科学的合理精神が未確立であり、このような非科学的なものが、まことしやかに重視されていたのである。

 二つ目は中世欧州で発見された山椒魚の化石である。この化石がどういう訳か、ノアの箱舟から大地に降り立った人間のものとされていた。つまり地球的大洪水で地球から一度人間が滅亡した後、唯一生き残ったノアの人間の化石であると長い間信じられてきた。しかし近世に入りシーボルトが、こともあろうに日本から持ち帰った山椒魚がもとで人間説が覆され山椒魚の化石となった。山椒魚の手足が人骨に似ていたのであろうか。
 さらに、このエピソードを背景にしたあるSF小説が生まれた。チェコの作家カレル・チャペックが著した『山椒魚戦争』である。ここに登場する山椒魚は、この化石の子孫として描かれているのだ。山椒魚が人間と同列の存在として描かれ、終章では人間と山椒魚の戦争にまで発展する。

 『山椒魚戦争』は第二次世界大戦前に書かれたもので、チャペックの代表的な戯曲『ロボット (R.U.R.)』と共に、現代文明の危うさを鋭く突いた予見の書として有名である。しかし日本では山椒魚に関して西洋のような哲学的象徴としての信奉はない。本論の前段で岡山県美甘村の俳人Hさんを述べる際に紹介した「はんざき大明神」(湯原温泉)が、おそらく山椒魚を祀る唯一の例と思われる。しかしこれも自然畏怖や伝承からくる日本独特の八百万神信仰の域を出るものではない。

 <山椒魚蛇足2>
 井伏鱒二の『山椒魚』の構想は、私の記憶によれば井伏の独創ではなく名前は失念したが、当時文学仲間の間で話題になっていたあるロシア作家の著作がネタ元らしい。芥川龍之介が得意だった古典から得た発想の焼き直しと似ている。これが功を奏し処女作ながら井伏の代表作になった。山椒魚が居心地のよい岩屋を見つけ、呑気に暮らしているうちに成長し岩屋から出れなくなり、たまたま紛れ込んだ蛙を幽閉し共に暮らすという粗筋である。俳句流に言えば省略の効いた作品となり、読者の想像を大いに掻き立てる作品となった。このためか中学校の教科書に採用され、生徒に読書感を書かせる格好の作品となっった。

 井伏に俳句の趣味があったかは定かでない。『山椒魚』は若き日の井伏の冴えた感性とロシア作家の作品から得た素材が瞬間接着した成果であろう。このエスプリはその後、漢詩分野でも発揮され、于武陵の漢詩「勧酒」の井伏流名訳につながる。有名な「サヨナラだけが人生だ」である。私はこの訳が載った初版本を俳句の師石寒太先生から見せてもらったことがある。井伏には俳句に通じる飄逸さがあったようだ。以来私はこの訳詩が好きになり折々口ずさんでいた。蛇足のついでに、その訳詩を紹介したい。

   勧君金屈巵    コノサカヅキヲ受ケテクレ 
   満酌不須辞    ドウゾナミナミツガシテオクレ
   花発多風雨    ハナニアラシノタトヘモアルゾ
   人生足別離    「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 その折に取ったメモを大切にしていたが、そのうち訳詩の記憶はメモと共に忘れてしまった。私の記憶では、この後に「アサガヤアタリデイッパイヤルカ」という句があったように思うのだが、今では定かでない。

 話題が逸れてしまったが、井伏はこの処女作に終生こだわり続けたようだ。いつどこをどのように修正したかは具体的に分からない。しかし井伏がこだわり続けた最終形は目にすることができる。つまり井伏が晩年に出した全集の中の『山椒魚』と処女作を比較すればよい。私はそれを読み比べ、その差に驚いてしまった。旧作の終章にあった山椒魚と蛙の会話部分が全部削除されていたのだ。この会話部分は前述の中学生が感想文を書く際に、双方(山椒魚、蛙)の気持ちを推量する上での重要な部分であった。

 井伏は最晩年に至って山椒魚にも蛙にも会話をさせない修正を施した。つまり「今年の夏はお互いに黙り込んで、そしてお互いに自分の歎息が相手に聞こえないように注意していたのである。」で終わらせた。しかし処女作はこのあとに両者の会話が続き、しばらく沈黙した後、山椒魚が蛙に「今何を考えているのか」と問う。空腹で絶命間近の蛙は「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」と答えて終わっている。

画像
       K.チャペック『山椒魚戦争』(岩波書店)
      作家佐藤優(外交官時代、鈴木宗男事件に連座
      し背任容疑で逮捕)が獄中で読み感銘、国際外
      交の要諦が学べるとして後輩外交官に推奨した
      というエピソードをもつ。

 <山椒魚蛇足3>
 西洋の山椒魚はどこか屹立していて、人間の強み弱みを写す鏡のような存在に見える。『山椒魚戦争』の中では、最初人間が山椒魚に文化を与え見返りとして山椒魚の労働力を得る。双方の補完関係が成立、共存社会が順調に続いた。しかし山椒魚の人口爆発でその関係が崩れ戦争へと突入する。戦争は圧倒的に山椒魚側が優勢で進む。人間側は意見が対立し内部崩壊状態となり人間の滅亡寸前で物語は終わる。チャペックが山椒魚を何になぞらえたのかは諸説があり、現在では全体主義(ナチス、共産主義)勢力という説が強い。つまり山椒魚は人間の半面、あるいは反面を持った知的生物として位置づけされている。

 これに対し、日本では山椒魚の確とした固有イメージは確立されていない。敢えて挙げれば井伏鱒二の『山椒魚』のイメージが一番印象的と思われる。その『山椒魚』のイメージも当初は原題が示すように幽閉者のイメージが強いものであった(井伏が最初に命名した題は『幽閉』であった)。つまりロシア作家の著作から得た原初的な閃きそのものである。ところが井伏はこれを恣意的に変えようとした形跡がある。前述した全集収載『山椒魚』の終章における会話部分の大幅削除は、そのことを雄弁に物語っている。

 では井伏はどのように変えようとしたのであろうか。

<つづく>

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