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zoom RSS 能登真脇のこと <その2>

<<   作成日時 : 2017/03/13 22:09   >>

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 真脇遺跡の発見は比較的新しく、昭和57年に行われた農村基盤整備に伴う事前調査によって発見された。調査を進めるうちに折り重なる地層から、まず縄文後期の地層が、さらに掘り進めると中期、前期の地層が、その時代の出土品と共に現れた。縄文時代の全期に渡る出土品が同じ場所から多量に出たことで大きな話題を呼んだ。しかもその発掘状況から長期定住型集落の跡と判り、平成元年に国指定史跡になった。また平成3年には、200点を超える出土品が国の重要文化財に指定された。

 真脇の縄文遺跡の特徴は三点あると思う。まず縄文全期の地層が重層的にそのまま発見されたこと。二点目は長期定住型集落が固有の文化を持っていた形跡があること、三点目は他では見当たらない大量のイルカの骨が発見されたことである。当時の気温は現在よりも3度ほど高く、海面も約2,3m高かったらしい。真脇の里は三方が丘陵で囲まれ小さな入り江に面する暮らしやすい集落であったようである。

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        <発掘されたトーテムポールらしきもの>
    大量のイルカの骨と共に発見されたトーテムポールのよ
    うな木柱。頭部にイルカの彫刻らしきものがあり、イル
    カを祀ったものとの説がある。これだけ完全なトーテム
    ポールらしきものが発見されたのは日本で初めてである。
    写真左側壁面に掛かる写真は縄文三期の地層断面図。

 実は私は考古学界の実情はよく分からない。分からないことを承知の上で言わせてもらえば、あまり好い印象はもっていない。その理由は戦後間もなく発足した九学会連合を脱退した唯一の学会であったことや、「神の手」事件(発掘現場に石器を埋め込み、調査ひいては歴史を捏造した事件)などがある。特に「神の手」事件は、学問への重大な背任行為であるにも拘らず、十分な社会的説明責任を未だ果たしていない。つまり閉鎖的で権威主義的な組織というイメージを私は払拭できずにいるからだ。

 ところが近年になり世は稀にみる古代ブームである。つまり吉野ヶ里遺跡、三内丸山遺跡を筆頭とした大変な発掘ブームがあり、これに触発された古代史ブームがある。気になり調べると仕掛け人は「環境考古学」ではないかと気付いた。環境考古学とは19世紀末に英国で生まれた学際的な考古学である。この学際的な手法が日本考古学界に新風を吹き込んだという憶測である。そう言えば「神の手」事件は、旧石器という考古学界の一分野の事件で、天下りの元官僚を中心にした組織的腐敗があったようだ。考古学界全体で見れば、大部分の考古学者は真摯で学究肌の研究者が多いと思う。

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          <発掘された仮面の一部>
    縄文時代の仮面はいくつかの遺跡でも発見され、なか
    には仮面を被った土偶も発見されている。
    トーテムポールや仮面は縄文人の精神的な側面を推量
    する上で重要な遺物である。しかし今のところ残念な
    がらこれを究める有効な学術的な方策がないのである。

 さて環境考古学であるが、簡単に言えば考古学以外の研究部門が共同で古環境を復元し、人間がどのようにその環境に適応してきたかを研究する学際的学問である。学際とはビジネス領域の業際という言葉に近い。つまり、ある目的のために学問分野を超えて協力し合うものである。学問における専門領域の垣根は意外に高く、行政分野で指摘されている縦割行政の弊害と同様な弊害が研究分野にも存在する。

 環境考古学は、この弊害に学際的協力を得て解決するため19世紀末に英国で体系化された。因みにその時の対象学問は地質学、動物学、植物学が考古学分野に参加した。前述した九学会連合は戦後間もなくに民俗学者渋沢敬三が立ち上げたもので、言わば民俗学分野での学際的協力であり、環境考古学は考古学分野での学際的協力と言える。共通しているのは、研究目的に「人間」と「生活」の存在があることであろう。

 私が考古学に興味をもち始めたころ不思議に思うことがあった。それは、あまりに偏重した出土品中心主義の姿勢である。端的に言えば土器だけに拘わる学問かと思うほどである。私は、それまで庶民生活を中心にした民俗学の本を読んできたため、よけいにそう思ったのかもしれない。それにしても人間匂さのない、なんと無機質な学問であろうと嘆息したことさえあった。

 それが真脇や吉野ヶ里や三内丸山あたりから急に変わって来たように思う。そこで暮らした人間や生活の要素が発掘調査の報告に色濃く出て来たのである。試しに丸山三内の発掘文献を見直してみた。すると様々な分野の研究者が参加していることが分かった。急ぎ環境考古学の文献を当たると、日本では1970年代に入り環境考古学が考古学界に定着してきたとある。
 果たして真脇遺跡の発掘は1982年で、吉野ヶ里は1996年に発掘が始まり、三内丸山の本格的な発掘は1990年代であった。これらの遺跡発掘の活況や成果は、やはり環境考古学なくしては考えられないように思う。

<つづく>

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