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zoom RSS 能登真脇のこと <その3>

<<   作成日時 : 2017/03/23 12:35   >>

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 真脇縄文人の文化的な特徴はいくつかある。先ず他の遺跡ではあまり見られない床に板を引く生活風習である。住居だけでなく板が引かれたお墓も見つかった。また集落の中央には直径1メートルもある栗の巨木を半分に割った木柱をサークル状に回したストーンサークルならぬ栗の木サークルがあったようだ。しかもその場所は、ほぼ固定されていて何代にもわたって立て替えられた形跡がある。さらに木材の加工技術に長けていたようで、巨木を半分に割る技術や住居用木材として穴を穿ち木材を組み合わせる工法も有していた。

 また大量に見つかったイルカの骨は、当初食用だったと予想されていた。しかし、その後真脇縄文人とイルカの共生説が出て、イルカの出す長音波を利用した漁を行っていたという新説が現れた。この説によれば大量のイルカの骨は、イルカの耳元にあるセンサーが寄生虫の繁殖で機能不全となり集団で砂浜に打ち上げられたもので、現代でもイルカやクジラに見られる現象であるとしている。それを手厚く人間と同じ墓所に葬ったもので、一緒に見つかった人骨やトーテンポールのようなものはその証である。特にトーテムポールはイルカを葬った際の儀式用のものであると主張している。

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           <栗の巨木のサークル>
    特徴的なことは、この環状木柱列が同じ場所で何度も
    立て替えられているということです。真脇遺跡では少
    なくとも6回の立て替えが認められました。この木柱
    列が立てられていた場所は縄文人にとり「聖なる場
    所」だったのかもしれません。
     (石川県能登町「真脇遺跡縄文館」)


 真脇遺跡の長期定住集落や多彩な出土品は、従来の縄文時代の概念を大きく覆すもので世間を驚かせた。その後発見された吉野ヶ里や三内丸山は、さらに縄文時代の凄さを立証する出土品が続出し、日本はもとより世界が驚いたようである。私はこれらの発掘は日本人を考える意味で非常に重要だと思っている。それは従来史観における弥生時代の概念を大きく塗り変えた点である。つまり当たり前のことではあるが、弥生時代は日本人にとって原点ではなく単なる通過点であることを声高に唱えられるようになった点で重要であると思う。

 ただ私はこのことは重要なことだが、あまり興味はない。今の私の興味は真脇の小さな集落で4千年続いた真脇縄文人の生活、とくに縄文人の精神世界のことが気になる。理由は、その世界が現在の我々の世界とは全く違う異次元の世界だと思うからだ。出土した土偶や土器などの装飾や、土製仮面、トーテムポールらしきものや栗巨木のサークルは、彼らの精神世界をほんの少し垣間見せて呉れる。しかし真実は闇の中で、今の私には、それをどのように想像すれば好いのかさえ全く分からない。

 私は真脇集落の精神世界は、直感的にアナログの世界だと思っている。つまり右脳の世界である。そう思うのは私の長い会社生活の経験からである。ただ最近、古代研究で名高い折口信夫も同様な考えであったことを知った。だから現代のデジタル社会、つまり左脳中心世界に棲む現代人には想像すらできない世界だと思う。余談になるが、私はある電気メーカに定年まで勤めた。入社当時、会社の経営方針は「アナログからデジタルへ」であった。在職期間、電子化、デジタル化の進歩は想像を絶するものだった。電話、レコード、ビデオ、テープレコーダー、カメラ、映画、ラジオ、テレビと瞬く間に身の回りはデジタル化された。

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            <愛称・お魚土器>
    縄文土器の魅力は装飾性にある。その美しさを最初に
    口にしたのは岡本太郎だった。有名な「なんだこりゃ」
    である。機能性本位で遊び心のない弥生土器に比し、
    自由で奔放な精神がほとばしっている。現代では、こ
    の能力を発揮できるのは一握りの芸術家だけである。

 デジタル化の波は、社会に重大な影響を与えた。その最大のものは変化の迅速化であろう。変化が当たり前の世界を現出させたのである。産業革命以来、西洋の唯物論は社会に変化を促して来たが、デジタル革命により遂にその速度を制動出来ないものにしてしまった。一方でデジタル革命は驚異的な技術進歩をもたらした。私が入社時使用した米国製計算機は、広大な空調室で怪獣のように唸りを上げていた。50年後の現在、その数倍の性能を持つコンピューターが手の平に載っている。世の社会学者も東京オリンピックが終わったあたりから、急激に社会が変わったと口を揃える。つまり、デジタル革命が本格化した時期と符合する。

 これに対して4千年続いた真脇縄文集落は、石器という唯一のツールを使いながら、たぶん「変わらない」ことを大事にする生活を続けていたに違いない。何故なら右脳発想の世界、つまりアナログ的な世界は、あまり変化を好まない世界だからだ。日本人の祖先は長い間、右脳中心の生活をしてきたように思う。私がそう思う理由は二つある。ひとつは中世日本に住んでいたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスの本で、二つ目は折口信夫が志向した折口学に共鳴するからである。

<つづく>

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