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zoom RSS 能登真脇のこと <その12、完結編>

<<   作成日時 : 2018/09/14 01:04   >>

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 以下、折口信夫追悼集会での柳田の講演内容のことである。追悼集会であり当然のことながら、あからさまな折口批判は出来ない。しかしこの日の柳田の講演は、いつもの柳田の調子ではなかったことが「わがとこよびと」を読むと判る。一言で言えば折口学への共感である。かつて柳田が発表した「折口信夫君とニホのこと」(年表❺)と同質のものが感じられる。かつて折口が沖縄で行った習俗調査に自己体験をかぶせ、折口の分析を評価する姿は、6年前「まれびと」を揶揄した調子は微塵もない。結論を言えば、前年折口が発表した「民族史観における他界観念」を認める内容である。

 梶木は、さらに柳田の文章が微妙に折口に似ていることに気付く。文中、折口が沖縄に残る習俗「ニルヤのウフシュ」を見て能の翁を連想する場面の紹介がある。この文章が折口の「国文学の発生(第二稿)」における「まれびと」の抽出場面に酷似していることをあげ「折口が書いたものだと言っても怪しむ人はいない」ほどであると述べる。つまり二人の常世観は限りなく近似してきており、その常世の「情景から折口信夫はまれびとを抽出し、柳田国男は今はそれをしない、それだけの違い」であると結論付ける。そして梶木は、ここで「柳田国男の折口信夫への擦り寄りが見られる」と呟くのである。

 柳田の講演「わがとこよびと」は後日、想を新にして論文「根の国の話」(⓭)として柳田の著作集に組み入れられる。しかし、そこには梶木が呟いた「擦り寄り」の文章は消されされている。だが明らかに柳田は「わがとこよびと」の講演時、立つ位置を折口と同じにしていた。梶木はこの場面を次のように総括する。「(柳田が)南島問題に実践的に突っ込んでいった必然として<海上の道>、あるいは海宮の視点に立たなければならず、そうであればまた必然的に、家々個別の神ではなしに氏神以前の神を想定しなければならなかった」、つまり柳田は学問的に氏神以前に直面していたことになる。

 梶木は「根の国の話」と「わがとこよびと」を読み、昭和29年から30年にかけて柳田の内部では自説である氏神観念が揺れていたのではなく「実践的に破棄されていた」と述べる。「実践的な破棄」とは難しい表現である、要は「南島論展開のため実践的に据え置かれていた」と言い換えた方が良いだろう。その結果、柳田は南島論展開を実践することで限りなく折口に接近したのである。ならば柳田が昭和24年時点で唱えていた堅古な氏神観念は消えたのであろうか。梶木は、そうではなく「繋がった」のだと言う。そして梶木は、ここで素晴らしい結論を引き出す。以下その部分を引用する。

 柳田国男の論集『海上の道』以前の考察は、氏神の様態の体系化としては、ちょっと越えがたいほど見事に出来上がっている。ならば折口信夫は、どう位置付ければよいのか。実は氏神以前の研究として位置づければよいのです。これまで柳田国男の神も、折口信夫の神も時間的に同一という前提のもとで読んで来たが、どうも違う。もともと、それは時間的領域が違うものなのです。(略)氏神以後と氏神以前の体系を分担したものとして、柳田学と折口学はあるのだ。(略)師匠と弟子は連携して氏神以後と氏神以前の歴史像、精神像を開示して見せてくれたのである。(梶木剛「柳田学と折口学」より、なお本論は講演録であるため一部手を入れ読み易くした)

 つまり両者は天分の論考(発想)の才を生かし、柳田が氏神以後を折口が氏神以前を無意識のうちに分担していたことになる。見事な結論である。


画像
          梶木剛『文学的思考の振幅』
      最晩年の著書で折口信夫との運命的な出会いや
      正岡子規、柳田国男、斎藤茂吉などに関するエ
      ッセイ集。是非読みたい一冊である。

 以上で私の3つの疑問は解けたのだが、当初の目的であった真脇縄文人の死生観へのアプローチは依然絶たれたままである。折口学(古代学)に、その可能性を期待していたことは間違いではなかったが『古代研究』を読むと、どうも折口の語る古代と私の認識する古代には大きな差があるようだ。以下は折口が古代に触れた一文である。

 私は大体見当を、大昔と言ふ処に据ゑて話してゆきたい。そこには既に、明らかに国家意識を持つた民もあれば、まだ村々の生活にさへ落ちつかなかつた人々もあつたものと、見て置いて頂きたい。強ひて問はれゝば、飛鳥の都以前を中心にしてゐる(略)私の言ひ慣れた言ひ方からすれば、即、万葉びと以前及び万葉人の生活に通じて、古い種を択り分けながらお話する次第である。(「古代生活の研究―常世の国」
『折口信夫全集 2』中央公論社、1995年3月10日)

 ならば、折口の次の言葉「考証と推理とに、即かず離れないで、歩み続けなければならないのは、記録の信じられない時代を対象とする学問の採るべきほんとうの道である」(同)を信じ、折口がしたように自分なりの試行錯誤を繰り返すしかない。

 以上で本論は終わるが、梶木がこの講演の最後で、たぶん唾を飲み込むようにして話したに違いない二点を紹介して稿を閉じたい。その理由は二点とも私が「よくぞ言ってくれた」とスタンデングオーベションで梶木を称えたい内容だからである。

 先ず一点目であるが、これは今まで述べて来た柳田民俗学の思想、つまり柳田と折口を結ぶ思想的紐帯のことである。本論では「西洋学の外から視線に敵対する内からの視線」と少し抽象的な表現をしたものである。梶木はこれを講演の最後で「ヨーロッパ的な普遍主義に敵対する思想本質」と呼び変え、この敵対思想をどう作り上げればよいかという問題に触れている。梶木はこの問題を聴衆に分かり易く説明するため、ある作家の作品を取り上げて批判している。以下その部分を紹介する。

 彼がよく四国の谷間の村を描きます。四国の谷間の村の最も基層にあるのは土俗的な神道のはずです。その上層に仏教がある。そしてそれらの習合があるでしょう。ところが大江健三郎が描く四国の谷間の村には、それらは気(け)もありません。ユダヤ教的な、キリスト教的な世界になってしまうのです。何ですか、あれは。文化人類学的な理解で全部を片づけている。一番悪いのは『同時代ゲーム』という小説です。グロテスクこの上もなくて、愚劣です。要するにあれは外側の視線の専一化の作品と言っていいでしょう。(中略)(また他の作品を上げ)四国の谷間の村を、今度はダンテの『神曲』を引き合いにして理解しようとしている。あるいは『神曲』の断片によって四国の谷間の村を織り上げている。(梶木剛「柳田学と折口学」)

 梶木はネガティブな事例として、大江健三郎作品のもつ外側視線を上げ、その専一性を非難している。ここでいう専一性とは、見られる側の事情を一切考慮せず画一的(換言すると科学的合理的)な見方を指すものであろう。内側からの視線とは、この専一性に対する徹底的な闘いの視線であり、そのような視線の文体をどう作るかという闘いであるという。勿論文学の世界と民俗学を同列においての比較はできない、それは承知の上での批判であろう。

 私は、かつて大江健三郎のノーベル文学賞受賞の基調講演を読み、大いに失望した経験がある。川端康成の羽織袴姿までは望まないにしても、日本の美意識礼賛と同質のものを期待していた。しかし内容は西洋文学礼賛の一辺倒で、端的に申せば「ようやく日本の文学もここまで来ました」というものであった。この時の失望感は大きく、現代文学とはこの程度のものかと本気で落胆した。今回、梶木のお陰で大江作品の難渋さは大江の視点によるものと知り、改めて納得するものがあった。

 二つ目は稲作の事で、歴史上取り扱われている稲作への疑問である。この件は私自身も最近の縄文遺跡の文献を読み感じていることでもある。わが国の歴史上、劇的な変化は弥生時代に渡来した稲作(水稲)にある、これは数学で言う定理とも言える事実となっていて、これをもとに現在の考古学、人類学、歴史学が構成されている。このため紀元前千二、三百年頃に稲作が宮古島に渡来したという柳田の「海上の道」は他の学会から冷遇されてきた。

 梶木は、この定理とまでなっている水田稲作に疑問もち、農学者渡部忠世氏のアジア稲作に関する研究に関心をもち、古代のアジア各地で行われていた水陸未分化稲の存在を知る。その結果太古アジアには水田に拘らない多様な稲作が存在した可能性を確信する。つまり日本人の稲作が弥生時代ではなく数千年遡る可能性を指摘する。この梶木の講演は昭和62年のことである。最新の縄文遺跡の発掘調査によると紀元前2〜3千年代の遺跡から籾殻が次々に発見されている。このため水稲(水田遺跡)だけに注目してきた考古学の怠慢さが指摘されている。大袈裟に言えば稲作の再解釈で古代史が一変する可能性があるのだ。したがって当時の梶木の着眼は卓見とも言える。

 私が梶木の上記稲作認識に同意する理由は別にある。定理と思われていた弥生稲作(水稲単作)という歴史上の岩盤が取り除かれることである。その結果縄文人と日本人が直結するからだ。簡単に言えば「水田稲作が弥生時代に伝来し日本が始まった」という思い込み、日本人の起源を弥生とする現在の風潮を排し、何の障害もなく日本人が縄文人に素直に繋がること。また、そのことで縄文時代が持つ原始、非文明というネガティブな固定観念を払拭し、その素晴らしさを世界に知ってもらえる可能性が開けるからだ。
<了>

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