テーマ:加藤かけい

Sさんのこと <その10>

 Sさんのかけいを見る目は確かだった。かけいの山椒魚は、当初大(おお)山椒魚であった。しかし、ある時から体長僅か7,8センチのヒダサンショウオに変わったのだ。この変化こそ、無文の「愚守」であるとSさんは見ている。かけいは「愚守」によって積年の挫折感から解放されたが、その後の生き方は私の予想をはるかに超えていた。つまり、かけいが目指したの…
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Sさんのこと <その8>

 昭和二十年代後半から三十年代は俳壇史を語る上で重要な時期である。Sさんの凄いところは、この時期の俳壇の動きを正確に分析し、かけいの心理を推量していることである。私見ではあるが、この時期の特徴を一言で言えば、商業ジャーナリズムが新興俳句系の若手俳人を相手に、新しい風(根源俳句や社会性俳句運動、前衛俳句論争)を吹かせたことにある。その結果…
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Sさんのこと <その7>

 かけいの「言挙げ」は、まず秋櫻子の「馬酔木」を離れ、山口誓子の「天狼」に拠ることから始まった。「天狼」の創設は昭和二十三年一月であるが、Sさんによれば、その準備は一年前から周到に進められたようである。誓子の当時の師は秋櫻子である。秋櫻子は俳壇幹部として当時戦争責任を一部の若手俳人から追及されていた。特に『第二芸術』論争に加わった若手の…
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Sさんのこと <その6>

 俳人加藤かけいが俳壇の山椒魚にたどり着くには、もう少し話を続けねばならない。秋櫻子の下に移ったかけいは、間もなく「馬酔木」同人になり前途に漸く光が射すかに見えた。しかし人生はそう甘くはなかった。待ち受けていたものは戦争という最大級の歴史の波であった。この大きな波は人間の生き方を根本から見直すことを様々な局面で要求した。恵まれた生い立ち…
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Sさんのこと <その5>

 さてもう一人の俳人、加藤かけいである。加藤かけいを理解するには骨が折れる。何故かと言えば、この方は根っからの俳人だからである。この人の一番いけないところは、生涯定職をもたなかったことだと思う。少年時代に兄が俳句を詠んでいた影響で、新聞や俳句誌に興味半分で投句していた。あるとき当時俳壇で重きをなしていた大須賀乙字から、かけいの俳句素質を…
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Sさんのこと <その3>

 前章でSさんの一文を「忽然と思い出した」と書いてしまったが正確ではない。冒頭に書いたように、その切っ掛けは私のある感傷にある。その感傷は前述した四年前の入院経験と密接に関係している。つまり、いつ逝ってもおかしくない晩節を迎え、どういう心構えで日々を過ごせばよいかということにある。そのような自覚のもとにその種の本を読みだしたとき、ふとS…
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