テーマ:斎藤茂吉

能登真脇のこと <その6>

 ここまで書いて来て思い出すことがある。歌人斎藤茂吉が柿本人麿の終焉の地を数年かけて探索した話である。その際茂吉が頼ったものは和歌三首であった。人麿が臨終の時に詠んだ一首とその妻が夫の死に接し詠んだ二首である。茂吉はこの歌の解釈を元に遂に湯抱(ゆがかい)の鴨山にたどり着いた。導いたのは歌人としての勘である。同じ歌人として時空を超え人麿夫…
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行って見たところ 湯抱 <その6>

 柳田は若き日には詩人であった。想像できないことであるが恋愛詩で名を挙げた時期があった。また戦後、戦争責任を問われた茂吉は、あの有名な「現世の歌つくりは、つくづくとおのが悲しきWonne(おんね)に住むがよい」という言葉を残し郷里に隠遁する。高村光太郎も同様であった。共に若き日に詩人として世に出た三人であるが、ハイネの理念に目覚め詩を捨…
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行って見たところ 湯抱 <その3>

 鴨山記念館を車で数分走ると直ぐに湯抱温泉に着いた。坂を上り詰めた右側に共同駐車場らしきものがあり、その側に小さな歌碑公園があった。歌碑は二つあり共に茂吉のものであった。車道の両側に旅館らしき建物が数軒立ち並ぶ小さな温泉地である。現在は三軒の旅館が営業しているようだ。土地の人は「ユガカイ」と呼び、塩分を含んだ28度Cの源泉が近くにある。…
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行って見たところ 湯抱 <その2>

 人麻呂は、ここで死んだのか!  私はある種の興奮をもって鴨山記念館の小さな駐車場に降り立った。周囲を見渡すと鴨山記念館は小さな川の合流点にあった。左手の川は湯抱温泉の横を流れる女良谷川で、正面を流れる尻無川に合流している。その尻無川は下流の粕淵で、江の川となり石見川本を経て江津市で日本海に注ぐ。  かつて斎藤茂吉は、江津市を滔…
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行って見たところ 湯抱 <その1> 

 広い石見銀山の観光エリアを一通り見た後、車に戻り運転席を倒して心地よい疲れを癒していた。すると運転席の窓ガラスを叩く音がする。目を開けると制服姿の若い女性が手にした地図を指差し微笑んでいる。どうやら「石見銀山世界遺産センター」の受付の女性らしい。実は車に戻る前に、次の目的地である湯抱(ゆがかえ)への道をセンターの受付で訊ねていたからで…
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