テーマ:芭蕉

行って見たところ<鹿島・その2> 「根本寺」

 芭蕉の鹿島詣は貞享四年(一六八七)八月十四日早朝に江戸を発っているが、江戸への帰着日は不詳のようである。鹿島からの帰路、潮来の自準を尋ね三吟を巻いたのが二十五日頃と言われているので、鹿島・潮来には十日以上は滞在していたようである。それにしても芭蕉の移動は敏捷である。早朝に芭蕉庵を発ち夕方には布佐に到着している。布佐では「よひのほど、其…
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ほそみ<その10、完結>

 山本健吉は文学者が作家を論じる場合、「ヴォロンテ」(志または意思:著者注)と「メトード」(Method、手法:著者注)を同時に考える必要性を述べている。この言葉は大変重要と思う。とかく「メトード」の解釈が中心となり、「ヴォロンテ」の視点が欠けるため、作者が意図する本質的なものが抜け落ちることが多々ある。  芭蕉がその「メトード」…
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ほそみ <その9>

 芭蕉の風狂と旅との関係を扱った数ある文章の中で最も好きな文章は、山本健吉が若干三十四・五歳で書き上げた二つの小論、「凩の風狂」と「高館」である。それは俳人、川崎展宏の著書から教えられたものである。川崎は、山本の初期評論「高館」と「凩の風狂」、特に「高館」を読んだ時の衝撃を次のように告白している。  「高館」は、もはや、山本氏の評…
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ほそみ <その8>

 江戸時代の文化を「雅」と「俗」でとらえる見方については前段で少し述べた。それまで日本文化を主導した貴族文化、つまり殿上人が築き上げた「雅」は武家政治の鎌倉以降も基本的な潮流として変わらなかったようだ。江戸文化の最初の興隆期である元禄文化は、大筋で上方が主導した。しかしその後政治経済の東漸と同期して文化の主導権は徐々に江戸に移り、二回目…
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ほそみ<その7>

 前述した其角の「草の戸に我は蓼食ふ蛍哉」句が収載されている『虚栗』には、芭蕉の句「朝顔に我は飯食ふ男哉」も載っている。        草の戸に我は蓼食ふ蛍哉      其角        朝顔に我は飯食ふ男哉       芭蕉  堀切実はこの句は其角句に巧みに唱和しながら暗に揶揄した句であると断定し(『芭蕉の門人』)、次…
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ほそみ <その6>

 芭蕉の「ほそみ」が山本の余呉湖畔の体験で、井本農一の「微少なものを通して、その背後の自然や人間の本体をつかむ心」であることが、かなり具体性を帯びてきた。では「ほそみ」とは、そもそも、そのような言葉なのであろうか。ここに残された一つの芭蕉の言葉がある。  「師が風、閑寂を好んで細し。晋子が風、伊達を好んで細し。この細き所、師が流也…
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ほそみ <その5>

 美しく平和な余呉の庄を訪れた鳥共は、果たして武者か、あるいは天女か。  山本は「余呉の海、路通、芭蕉」の中で、遠祖横山長隆の墓参を契機に「この句の味わいが少し違って感ぜられるようになった」と述べている。山本は「少し違って感ぜられる」と書いているが、はなから鳥共を天女とは思ってはいない。つまり実際に余呉の庄に立ち、地の人から賤ヶ岳合戦…
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ほそみ <その4>

 以上、路通句の「余呉」という土地名が持つ言霊というか、その言葉の背景にあるものについて、あらかた述べてきた。さらに言えば余呉という一風変わった里名であるが、これは奈良朝かそれ以前に朝鮮半島から帰化した民が住んでいたことによるらしい。そのような本を読んだ記憶が執筆中に俄に甦り、該当本をいろいろ当ってみた。『日本随筆紀行全集』辺りかと密か…
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ほそみ <その3>

 余呉湖周辺が賤ヶ岳合戦の古戦場だと知ると、さらに思い当たることがあった。やはり、一昨年に近江を訪ねたときのことである。近江探訪の目的は二つあり、一つは義仲寺での芭蕉塚墓参、他は湖北地方の観音巡りであった。前夜は余呉湖畔に投宿して、湖北地方に点在する観音を車で尋ねた。この地方の観音は十一面観音が多い。たぶん平安初期から中期にかけて流行し…
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ほそみ <その2>

 「ほそみ」を知る手掛かりは、やはり芭蕉が「ほそみあり」と言った路通句になるであろう。そこで、改めて路通句を鑑賞してみるが、さっぱりである。此の句のどこに「ほそみ」があるのだろうか。確かに一昨年三月に余呉湖を訪れたとき、湖面には沢山の浮寝鳥が浮かんでいた。しかし浮寝の鳥は、余呉湖に限らず何処でも目にするもので、さして珍しい光景ではない。…
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ほそみ <その1>

    鳥共も寝入っているか余呉の海     路通 路通のこの句に、芭蕉は「この句、ほそみあり」(去来抄)と褒めたという。芭蕉の言う「ほそみ」とは、いったい何だろうと時々考えることがある。文献を見ると、例えば尾形仂編『芭蕉必携』の「ほそみ」の項には、数人の専門家の解釈が紹介されている。その中から代表的な三人の解釈を紹介す…
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やつし

 最近、芭蕉を偶像視しないという見方に触発されている・・・・・。と言うのは、先日友人に貰った井上ひさしの『芭蕉通夜舟』という劇のパンフレットでも、また所属している超結社の主宰(近世文学専攻)の最近の話にも、そのようなニュアンスを感じているからである。  そんなわけで芭蕉の僧体についても少し見方を変えている。芭蕉は俳諧の芯に「禅俳一致」…
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